ゲームの終着点はエンディングなのか 体験の完成を見るのはいつ?
「終わり」が明確なメディアばかりではない
多くのゲームにおいて「クリアー」とは金科玉条であり、これを目指してプレイするというのがメジャーなスタイルです。
クリアーすること、つまりエンディングを見ることで、その体験は「完成した」と感じられます。
でも、明確な終わりのないメディアもありますね。ちょっと比べてみましょう。
メディア | 終わり |
---|---|
本 | 読了 |
映画 | 見終わること |
絵 | ? |
音楽(アルバムなど) | 聴き終えること? |
漫画 | 完結しているものなら全巻読破、連載中なら…? |
ゲーム | クリアーすること |
「絵を鑑賞する」などは、観る人が視線を切ればそれがおしまいかもしれませんが、「体験のおわり」としてはふさわしくないように思います。
「音楽を聴く」は、アルバムで言えば全曲一周することが体験の完成なのか?というと、やっぱりよく分からない。聴くたびに、新しい体験が生まれて、終わりを迎えているような気もします。
その点、「ゲームを遊ぶ」というのは終わりが比較的明確で、コントロールできます。
代表的な流れで言えば、ラスボス戦で最高潮を迎え(ゲームによっては大変苦戦します)、撃破、エンディング、そしてスタッフロール。
いちばん最後に山場が訪れますから、そこを乗り越えた段階で「ひとつの終わりを迎えた」という実感を持てる。
作り手としては、「最終的な体験の印象づけ方」をコントロールしやすい構造になっていると言えるでしょう。
クリアー=体験の終わりとは限らない
ゲームクリアを境にきっぱり遊ばなくなるゲームというのは、それほど多くはなく、
作り手側も、クリア後に遊べる要素というのを色んな形で用意しています。
とすると、クリアーという一大目標を多くのゲームが掲げているのはどうしてでしょうか。
この記事では、クリア前後の体験の変化に焦点を当てて、その機能について考察してみたいと思います。
クリアーしてはじめてスタートライン、というゲーム
先日、Ittle Dew(邦題は「イトル・デューの伝説 失われた島と謎の城」)をクリアーしました。
もともとPC向けゲームであり、WiiUダウンロードソフトとして800円で販売されていることもあり、
最近のゲーム作品としては、プレイ時間はかなり短かったです。
ただ、クリア後の要素として、この簡潔さを逆手に取った「ゲーム丸ごとタイムアタック」が用意されていて、再プレイを促す仕組みになっています。
(ラスボス撃破後に訪れる部屋で、その遊び方をほのめかす「大ヒント」を提示してくれます。)
じっくりパズルから大化けするゲーム性
Ittle Dewは邦題の通り、お城を中心にした島を冒険するゲームですが、
お城の各所に「ポータル」と呼ばれるワープ地点が用意されており、
城内のポータルに辿りつくたび、屋外の「ワープのお庭」という場所から城内の各所に飛べるポータルが相互に解禁されるようになっています。
Ittle Dewのゲーム性を紹介した記事で、このゲームがいわば「押しものパズル」であることを紹介しました。
じっくり考えるパズルではあるものの、一度解いてしまえば解き方は覚えてしまい、たしかにタイムアタック的な楽しみ方が出来るようになりそうです。
パズルの挑戦順はイトルの行ける範囲でなら自由であり、
クリア後に表示されるヒントを見ると、お金の入手場所など隠し要素がたんまり眠っていそうです。
また、「プロ専用ショートカット」と称された近道が随所に仕掛けられていて、何らかの方法で解くことが出来るようです。
「押しものパズル」としてのローカルなパズルをじっくり解くゲームであると同時に、
「Ittle Dew」のフィールドをどう駆け回るか、抜け道をいかに見つけるかという、もっとスケールの大きな遊びが隠されていたという訳です。
オプション画面に「時間表示」という項目があり、ゲーム開始からの時間をメイン画面で見られるのですが、
これはタイムアタックを快適に遊ぶために用意されたもののようです。
ちょっぴり冒険心をくすぐられますが、続きを遊ぶかどうかはまだわかりません。(他にも遊びたいゲームがあるので…。)
エクストラステージ等、「非正規ステージ」の魅力
ここでは「非正規ステージ」と呼んでいるのは、ちょっぴり感覚的な分類になります。
例えば、「ヨッシーアイランド」や、ヨッシーシリーズ最新作の「ヨッシーウールワールド」では、
ワールドの全8コースで100点を取ったり、スペシャルフラワーを全回収することで、9つ目のスペシャルコースが解禁されるようになっています。
また、SFCの「スーパーマリオワールド」では、ステージの随所に隠しゴールがあって、
冒険のルートを決めるフィールドマップにおいて、新しい順路が開拓され、隠れお化け屋敷やソーダのみずうみ、スターロード等のステージに進むことが出来るようになります。
1-1から始まるような冒険のメインルートから外れた、このようなステージを非正規ステージと呼ぶことにしましょう。
非正規ステージは以下のように分類できるかと思います。
- 近道として機能するステージ
- ゲームクリアーには直接関係せず、おまけ要素として用意されたステージ
いずれの場合も「全てのステージを見る」という目標につながり、クリアー後の継続的なプレイを促します。
クリアーの要件にはならない分、開発側が本気を出してきたり、
「ここまで遊んでくれてありがとう」という遊び心のあるステージがあったりして、
正規のステージとは違った魅力があることは、ゲームファンの方ならご存知でしょう。
ゲームを購入する上ではクリアーまでの道のりを最重視する方が多いと思いますが、
このようなプラスアルファの要素にも期待してお金を出しているという側面もありそうです。
対戦ゲームにおいても、エンディングが華を添える
Splatoonの1人用「ヒーローモード」はステージをクリアーしていく方式のアクションゲームになっており、
ハイカラシティの電力供給源である「オオデンチナマズ」を、タコ軍団から取り返すことが目的です。
「Splatoon」といえば4VS4のインターネット対戦を主体にしたゲームであって、ヒーローモードはおまけという感もありますが、
「エンディングを見ることが目標ではなく、クリアー後も当然ゲームプレイはつづく」ということを想定し、
ヒーローモードのクリアー後は「インターネット対戦を遊ぶプレイヤーの意識が、ちょっと変わる」ような仕掛けが施されています。
1人用モードを最後まで遊ぶことがプレイヤーにとっての「当然の認識」になりにくい分だけ、
ひとひねりした、他のゲームとは違った形でストーリー、エンディングを位置付けており、
「ヒーローモードのプレイが止まっている」という方には、是非とも最後まで遊んで欲しい内容になっています。
クリアーは体験の分水嶺
ごく限られた事例ではありますが、色々な形態のゲームについて、クリアーの位置づけや効果を見ていきました。
その中から、一般に言えそうなことがいくつかあります。
- 「クリアーするまで」と、「クリア後」とでは、体験の質が変わる
- クリア時にもたらされる情報や、ストーリーの結末が、その後のプレイの目標を違ったものにする
- プレイヤーの心情に変化を与えてプレイ感覚を変えたり、また印象の強い思い出として残りやすくなる
クリアーまでの所要時間は作品によりまちまちですから、やむを得ずクリアーに至れないゲームも出てきます。
ゲームを遊ぶことは過程を楽しむことが大きいですから、最後まで遊んでいないことは必ずしも決定的な欠落ではないはずですが、
それでも体験に穴が開いたような感覚になるのは不思議なことで、その理由をもっと考察してみたいところです。
おまけ - 「全クリ」の定義
最近、身の回りでとんと「全クリ」という言葉を聞かなくなりました。「全部クリア」の略語ですね。
「全クリの定義」には諸説あり、代表的な主張はふたつかと思います。
- スタッフロールを観たら全クリである
- メダルやトロフィーのような要素を全て集めたら全クリである(隠しステージ、マルチエンディング等も含む)
この記事では全クリという言葉は使わず、少しぼかした言い方として「クリアー」という語を使いました。
概括的な定義を求めるよりは、「すべての体験をやり尽くす」ことの満足に焦点を当てたほうが面白いような気がします。