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初心者ナワバリストによる vsローラー奮闘記 後編

二次創作小説(Splatoon) Suckers

 

kotodamar.hatenablog.com

 

 

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「ちくしょう、あんな奴に最後の手段を使わされるなんて…!」

ダイオウイカに変身し、オレンジのインクを物ともせず泳ぐローラーの少女は、タカナを仕留めてすぐに次の行動に移っていました。
彼女がこのステージで闘うとき、必ず試みる戦略の成就は、既に目前だったのです。

(まぁいいや…敵は排除出来た。こっち側の見張り台に味方の拠点を作ってやれ)

目指すはクォーターパイプをいくつか登った先にある見張り台。
バトルの序盤に、タカナを脅かしたジェットスイーパー使いが潜んでいた場所と同じスポットです。
敵陣に攻め込むにも距離が近く、中央広場へ向かい敵の背後を突く選択肢もあることから、彼女はその位置を拠点として贔屓にしていたのでした。
コンクリートの壁に三方を囲まれた見張り台の隅に移動したちょうどそのとき、彼女は元の姿を取り戻します。

(こいつが奇襲に持って来いなんだ…!クククッ)

取り出しましたるは、ヒトの背丈ほどもある巨大な電子機器。
三脚のような土台にテニスのラケットのような網掛けのフレームが付いたその機器は、地面に設置されると同時に怪しい紫色の光を帯び、クルクルとフレームの部分が回り始めます。
数少ないスーパージャンプ可能地点の一つ…「ジャンプビーコン」を設置したのでした。
その場所にビーコンが置かれたことは、ビーコンが発する電波によって、味方全員が察知したはずです。

(さて、ハーフパイプを塗って攻めあがるか。味方は中央を突破したのか…?)

少女がマップを取り出して戦況を確認したとき。中央の突破を任せた3人の味方がどうなったか、その点だけを確認するつもりでした。
ところが、味方の表示がどこにもありません。
…画面の上部には、チームメンバーを表すイカを象った4つの枠のうち、紫色が一つだけ点っています。

「なっ!?」

自分はいま健在である。そうなれば、この紫のアイコンは自分。
他の味方は…

面食らった少女は、一瞬その場から動くことを忘れてしまいました。
その隙が致命的であったことに気付いたのは、鼓膜を揺らす不穏な響きが耳に入ってきた次の瞬間。
少女とビーコンを包み込むように、予兆のような音の粒子が、ハーフパイプに沿ってまっすぐと伸びています。
数あるナワバリバトルスペシャルウェポンの中でも、とりわけ凶悪な効果範囲を持つ攻撃が、襲いかかろうとしていました。

(ま、まずい!降りなくては)

ビーコンを設置したその場所の見えにくさは、そのまま逃げにくさに直結してしまいました。
処刑台と化したコンクリートの足場から逃れようとするも、走る速度が足りません。

「い、いやだっ!」

耳を塞いだ少女ですが、いまから襲い掛かる攻撃をかわすにはあまりにも儚い防御でした。
彼女の脳髄に、地の底からやって来た生物の咆哮のような、神経を逆撫でする爆音が響き渡ります!
それは単なる音の攻撃ではなく、エアロゾル化したインクを音波に乗せて撒き散らすという、インクリングにとって恐るべき仕打ち。

「ぎいっ…!」

彼女の肉体は、全身を侵すインクの反応に耐えられるはずも無く、一瞬にして蒸散してしまいました。
直撃すれば破裂・蒸散することは免れ得ないその攻撃の名は、かの有名アーティストのギターノイズを元に音を加工したという「メガホンレーザー」。
そして、それを放ったものは。

「…ヨミ、完璧っ…!あのコを目の前でやらせちまったのは残念だったけどな」

スプラローラーを抱えた、ファダ少年でありました。
アンジ、リンドと協力して中央での闘いを制したあと、敵に侵攻されたハーフパイプを抑えるべく、タカナに続いてこの道に向かったのです。
そこでダイオウイカに追われる彼女の一部始終を目撃した彼は、ローラーの少女がビーコンを設置しに見張り台へ向かったところを、メガホンレーザーで確実に仕留めることを思い立ったのでした。

「ざまーみやがれ。こちとらロラコラからの出戻りクンだぜ。ビーコンの使い方は分かってんよ」

ローラーの少女が置いたビーコンの位置は、決して彼女だけが知っている置き場所ではなかったのです。
自らの経験が活きた華麗なやり口に、ファダは気を良くしているようです。

「…さぁ、反撃と行こうぜ、仲間たち」

ファダはローラーをしっかりと携えると、ローラーの少女がダイオウイカの遊泳中につけた紫の痕跡を消しつつ、敵陣へと攻め込んでいきます。

彼が選んだ侵攻ルートは、ハーフパイプを通り抜けた先にある、背丈ほどの垂直な段差を越えた先の細い抜け道。
開戦直後などに、敵チームが中央広場からの射撃をかわすのに活用する横長のバリケードの内側に潜んで、敵陣の近くに長時間センプクする作戦です。
それは、奇襲の得意なローラーの本領発揮といえる、障害物を使った戦法。
彼がカバーしきれないルートからやってくるであろう敵から中央広場を守る役割は、他の仲間に託すという選択でもありました。


…そして、いよいよ。Metalopodの重苦しいベースのリフが3周目に突入したところで、BGMがドラムのブレイクによって断ち切られます。
「Now or Never!」の上昇するギターフレーズが、バトルの勝敗を決定付ける、1分の攻防が始まることを選手たちに告げました。
ナワバリストの誰しも覚えがあるように、この曲がより強く背中を押し立てるのは…いつだって負けているチームの側。
全滅により一気に形勢逆転をかけられ、ふたたび自陣の復活ポットから体勢を立て直そうとしている紫チームに、最後のチャンスを掴めとICHIYA少年の甲高いボーカルがまくし立てます。

「ちっきしょう、あのスパショをかわしてたらよう…!」

先ほどまでの優勢ぶりはどこへやら、すっかり互角へと持ち込まれているマップを見て、.96ガロンを持った黒縁眼鏡の少年がぼやきます。
バトルの序盤、オレンジチームのアンジ少年との撃ち合いを引き分けに持ち込み、タカナのボムラッシュであわてて退散したあの少年でした。
彼が復活ポットから一歩出た先で、憎々しげにマップを見つめるさなか。
足元のインクがスッと波立ったかと思えば、健康的な小麦色をした肌の上に、黒のシャツを着込んだ少女が目の前に立ちはだかります。

「うおッ!?」
「たらればの話をしてたらキリがないわよ、.96ガロンさん。落ち込んでるヒマがあるなら私のサポートをしてくれないかしら」
「おっ、おお。シャープの姉さんか。オレはベンガーだ」

少女は振り向きざまの熱視線で少年をたじろがせると、すぐにイカの姿に戻り、紫に一面塗られたボウルへと飛び込みます。
ベンガー少年もそれに続いて、チャプンと音を立ててボウルの底に身を沈めました。

「私はハレー。…アナタのスプリンクラーの置き場所、なかなか素敵だから。動きやすかったわ」
「そ、そういうアンタこそ。高台に登ったり飛び降りたり、ご苦労さんだわな」
「ふふ。よく見てるじゃない。私…アナタとなら、この逆境、跳ね返せると思うの」
「ほう」

この間、約5秒。ボウルのセクションを通り抜けながらの会話です。
体力も干上がってくる最後の1分間を、集中力を切らさず、敵との熾烈な撃ち合いも切り抜けられるように…バトルの経験が豊富な者らは、こうして言葉を交わすのでした。
たった一戦に負けられない理由付けをするためには、何より出逢った仲間に最大限のリスペクトを払うことが肝要だと、彼らは知っているのです。

一方で、勝利のためには一つでも多くのキルを取ることと考え、単独行動を好む少女は。

(…ちくしょう、ビーコンが壊されてやがる…抜け目ないな、あいつら)

中央へ向かった二人から一足遅れ、ハーフパイプから一人敵陣へと向かうところでした。
メガホンレーザーによってズタズタにされた身体はすんなりと元通りになりましたが、爆音を受けて耳はまだキンキンと高い音を鳴らし続けています。

彼女が苛立たしげである原因は…タカナとハーフパイプで相対する前に置いたビーコンの消失でした。
主に敵が活用する小さな衝立の真下に置いたビーコンが、忽然と姿を消していたのです。
誰かがスーパージャンプの着地地点として使った覚えはありませんから、オレンジチームの誰かが発見し、破壊したということを意味します。

彼女の得意とする戦略は、前線に置かれたビーコンを維持しての、奇襲に次ぐ奇襲。
Bバスパークでのバトルにばかり繰り返し参加してきた彼女は、ビーコンの設置ポイントを熟知していましたから、
それは低ランク帯の闘いにおいて相当に効果的な戦略であり、これまでは残り1分を告げる音楽が鳴る頃には、敵陣の真ん中で立ち回っていることが常でした。
今回たまたま、その展開を阻むようなレベルの敵が現れたことは、彼女にとって実に面白くないことでした。
2回に渡ってキルしたウブそうな少女はともかく、他の3人のプレイヤーは、いずれも粒揃いの実力者であるように見えます。
なぜ敵ばかりに、と彼女は舌打ちをします。
反対に、恵まれた仲間を得た、敵側のひときわ弱い少女を呪いました。
怨念の向かう先は…いま、ステージの象徴である高台の上に。
阻むものの無くなった戦場の中心地に、悠々と自らのインクを撒き散らしているところです。

「リンドちゃん、すごいっ!ホントにスーパーショットで状況を覆しちゃうなんて」
「へへーん、アタシにかかればチョロいもんよ!」

開戦からしばらくの間、なかなか敵勢力を挫くことが出来ず苦しい闘いを強いられていたオレンジチームを推進したのは、スプラシューターコラボを持つリンドのスーパーショットでした。
タカナはダイオウイカに変身したローラーの少女にやられた後、復活した直後の勢力図を見て、大幅にナワバリを奪回していることに歓喜の声を上げ、この高台に駆け寄りました。
先駆けてこの高台に登っていたリンドは、ハーフパイプの制圧を任せたタカナが、ベストな形ではないにせよ、敵の侵攻を押しとどめたことに気付いていました。
二人はハイタッチを交わして、今こうして最終局面の下準備をしているという訳なのです。

「でも、油断しちゃダメよ?ここから敵の総攻撃が来るんだから」
「う…うん。いざという時は、お願いねっ」
「任しときなさい。また一網打尽にしてあげるから」

ハイカラシティに長く居る者は、他者の纏うファッションや立ち振る舞いによって、この街に訪れた時期を推し量ることが出来るといいます。
その能力を持つリンドは、タカナがこの街に来てまだ日が浅いことを、マッチング案内所で出会ったはじめから見抜いていました。
3分間のバトルの間だけとは言え、妹分のようなプレイヤーが自分に追従してくれることに気をよくしているようです。

(…ま、本当のこと言うと、アタシは一人しかキルしてないんだけど、気分良いからこのままにしとくわ)

リンドがスーパーショットを発動したとき。
ボウルの入り口まで侵攻していた敵を皮切りの一撃で葬ったのが、彼女自身の取った唯一のキルでした。
後のショットは効果的な威嚇の役割を果たし、スペシャルウェポンを恐れて後退した敵を、ローラーのファダ、N-ZAPのアンジが追い詰め一つずつキルを取ったのです。
それはタカナが、ハーフパイプでローラーの少女を追い詰め、惜しくもダイオウイカに絡め取られた、まさにその時のことでした。
リンドがスーパーショットを放ったのは、バトル終了まで1分20秒という時刻のこと。
彼女がスーパーショットを再び放つことが出来るとすれば、バトルが残り20秒を切ってからのはずです。
そのタイミングを二人は、しっかり覚えておこうと決めました。
リンドが迂闊に命を落とすことの無いよう立ち回ることができれば、勝利は自ずと転がり込んでくるはず。
その戦略が成就するかどうか…最後の1分間は、このバトルの是非が問われる、決して集中の切らせない時間となるでしょう。

だからこそ、最後の闘いの火蓋が切られ、インクの渦中へと身を引きずり込まれる前に、タカナにはどうしてもやっておきたい事がありました。

(ここに立つのはたった数秒だけど…このはじめての景色、目に焼き付けるんだっ)

タカナは空気を大きく吸って、Bバスパークの真ん中にいる自分を、少しでも深く胸に刻もうと試みました。
憧れのナワバリストたちがみな目にしてきた景色を、いま自分も寸分違わぬ形で目の当たりにしていることを忘れないために。
晴れ渡る青空、オレンジと紫に塗られた数々のセクション。橋を渡る自動車と、緑とビルが溶け合ったランドスケープ
そして、どの先人にも体験しえなかった、自分だけの体験が一つ。
隣に立つのは…ハイカラシティに深く根を下ろし、真っ白いシャツも、言動も、何もかもキラめいて見える、かつては遠い憧れだったような存在なのです。

(これが…この出逢いが、ナワバリバトル。わたしはこれからも、ここで生きていくんだ)

タカナが感傷に浸っていたのは一瞬のこと。
しかし、その瞬間の彼女の表情が、バトルの勝敗を超えて瞬いていたことを、彼女自身も、ステージの外から彼女を見守るSuckersの面々も、ハッキリと気付いていました。
そして、それはバンカーの後ろから高台の様子を伺う、あの少女にも伝わっていたのです。

(…チマチマ塗ってるだけなのに、何であんなに生き生きとしてんだ…?あのハナタレはっ)

息を潜めて、味方が前線へ攻め上がり敵の注意が分散する機を伺っていたローラーの少女にとって、息を弾ませて低所を確保するタカナの表情は不可解なものでした。
これから勝負が大詰めを迎え、インクをかいくぐり敵を出し抜く激しい闘いが、数秒後に控えているかもしれないというのに。
彼女の顔はまるで、その闘いにかける気迫が欠如しているようにも見えました。
塗ることそのものが楽しいという、まるで幼い子供のもつ原始的な快楽に堕しているようにも。
それは、勝負に勝つことに対して、ある意味誰よりも強い執着を抱いているこのローラーの少女には、甚だしく神経を逆撫でするものがありました。

(あいつは、もう一回ぐらいキルしておかないと気が済まねえワ。甘いモンじゃねえんだよ、バトルも、この都会もな)

それは彼女が初めて抱いた、勝敗を超えた情念。
モノを買うことではじめて手に入るステータス。移ろいやすい人々の興味。
この街のシビアな面を見つめながら数年生きてきた彼女には、いまタカナが湛えている笑みは、うつろな期待が詰まっているだけのものにしか見えなかったことが、その執着を抱かせたのです。

8人の思惑が交錯するラスト1分。いよいよ、はじめの衝突がもたらされます。

(…さっき使い損ねたスーパーセンサー、もう溜まっちまったぜ。そらっ)

スプリンクラーと、自身の操るメインウェポンとで、ダブルの塗り速度を誇るベンガー少年は、復活から10秒と経たないうちに、敵勢力の全貌を明らかにする兵器を発動するに至ります。
それはボウルのセクションを抜けて、中央広場にじりじりとインクの侵食する範囲を広げているときのこと。
他人の目には見えない知覚の糸が、4人の敵に向けてまっすぐに伸びていきました。

「いいわね、スーパーセンサー」
「ありがとさん…うおッ!誰だッ!?」

ここで、4本の糸のうちの一つは、身中の虫がいることを指し示しました。
全ての糸が自分の前方に向かうと思いきや、真横にごく短い糸が一本だけ出ているのを彼は見つけたのです。
すかさず銃口を向け、正体の分からない敵へと、ドッドッという音と共に高威力のインク弾をぶつけます。

「ぐあッ!タイミング悪ィぜ…!」

潜んでいたのは、オレンジチームのローラー使い、ファダ少年。
バリケードの内側に潜み、ベンガーとハレーが自分をスルーし広場へと向かったところを、後ろから挟み撃ちにする手筈で待ち構えていたのです。
彼はスーパーセンサーが発動された瞬間に後退していたため、止めを刺されることは免れました。
しかし、生身の身体で受けるには2発が限度といわれる銃弾のうち1発をその身に受けてしまいます。
これが、両チーム激突の合図となりました。

「あ…ファダさんがッ!危ない!」

徐々に迫り来る紫チームに対し、クイックボム片手にあちこちに注意を払いながらけん制を期していたタカナは、
右手のバリケードからファダが命からがら逃げ出してくるところをちょうど目撃しました。
.96ガロンを持った敵がバリケードの上に立ち、追撃しようとしているところでしたから、「止めなくては」という思いに支配されてしまいます。
…実は、敵がバリケードの上に立ったのは良策ではなく、すぐそばにいるスプラローラーの射程内に自らの身を晒す不注意であったのですが…

「やめてーーッ!」
「あ、ちょっと…彼なら放っといても大丈夫よ!?」

味方がピンチと感じたタカナは、丹念な塗りで出来上がった自分の身体を解き放ち、ふたたびボムラッシュを発動します。

「えい!えい!えいッ!」
「うわわわ!ま、またあの子か!?」

オレンジのインクを紫で上塗りし、索敵をしていたベンガーは、突然空から降ってきたクイックボムの雨霰に面食らいます。
高台から放物線を描いて投げ込まれるクイックボムは、平地のときよりも一層の飛距離を持っていましたから、ベンガーの元に届くには十分でした。
ところが、つかんでは投げを繰り返すタカナの投擲は正確性を失い、敵に照準を合わせることを忘れてあちこちに散らばっていきました。
そうこうしている内に、ベンガーは役立たずなバリケードの付近から退避し、ボムの届かない自陣まで引き下がってしまいます。

「全く…今日はモテてるな、オレ」

ベンガーはバトルを通じて、散々ボムをぶつけられたことに苦笑します。
何とか命をつなげたことから、もう一度攻め込む方法を考えようとマップを見たところ…
知らず知らずのうち、自分が的になったことで思わぬチャンスを作り出していたことに気がつきました。
タカナの投げるボムが描くアーチの下をかいくぐって、シャープマーカーを持つハレーが高台のそばまで接近していたのです。

(ベンガーくん、いいタイミングを作ってくれたわね)
「…おいおい、ハレーの姉さん。いい動きするよな」

このステージにおいて、自陣から高台に登るルートは大きく3つ。
一つは、レールのない、丸く象られたボディの側から、柵で囲まれた長方形の足場を使って登る方法。
あとの二つは、中央広場の右か左のルートを選択して、サイドに付いたレールを使って登る方法。
ハレーが選択したのは右のルート。
それはタカナのボムラッシュの標的となりそうな左のルート、敵に認識されやすい中央からのルートを忌避しての選択でした。

「タカナちゃん、敵が近づいてるわ!わたし、ちょっと応戦してくるっ」

ところが、このステージでの対戦経験豊富なリンドはその動きを見逃しませんでした。
タカナのボムラッシュ中もしっかりと低所の様子を伺っていたことから、ハレーの接近を察知します。

「えい!えい!えい!えいッ!」
(…聞いてない。うわあっ!?)

突如、高台の丸い足場の上に姿を現したのは、紫色のインクをたっぷりと詰め込んだキューバンボム!
一撃必殺のインク量を湛えた兵器は、ちょうどリンドの足元に張り付き、円筒形のボディをゆらゆらと揺らめかせています。
リンドは条件反射で動き、気がつけばイカの姿で高台から飛び降りていました。

「タカナちゃん!後ろ、気をッ」

まだボムを使った大量破壊に心を奪われている相棒に、ピンチを伝えるべく空中からアドバイスを発したリンドでしたが、アドバイスは4文字目で急遽打ち切られました。
精度の高いシューターから放たれる紫のインクが、彼女の視界を埋めたのです。

「自分がピンチでも仲間を優先するなんて、優しいのね。でもそれ、命取りじゃないかしら」

ハレーが手にするシャープマーカーは、1撃の威力は控えめであるものの、連射性能と高い集弾性に強みを持つシューター。
リンドやタカナが持つスプラシューターに比べると射程は劣りますが、集弾性と連射速度がウリ。
弾がしっかりと届く距離であれば、使い手の腕前が高いほどアドバンテージを得るという、玄人好みのブキです。

「いッた!」

リンドが地面に落ちるまでの曲線に狙いを定めた紫のインク弾の一つが、イカの姿のリンドの身体に命中します!
後続の弾を受ける前に、トプン、と音を立てて着地するに至ったのは彼女にとって幸いでした。
この一撃が彼女の戦闘本能を活性化させ、脳内にドクドクとアドレナリンが流れ始めます。
痛みに耐えることも、ナワバリストの重要な資質の一つなのです。

「はぁあ…上等じゃないっ…!心行くまで撃ち合ってやるわ!」

地面に足をつけ、スプラシューターを構えなおした彼女は、怖いような形相をしてシャープマーカーを抱えた少女を睨み返しました。
勝負開始を告げるかのように、キューバンボムを投げつけて敵の退路を塞ぎます。
ボムを投げつけられたハレーも退く気はありません。
前方に紫のインクを撒き散らし、あくまでリンドの息の根を止めることを狙っていました。
リンドが降りたのは、高台の側面に付いた2つの長方形の足場のうち、オレンジチーム側のもの。
ハレーはリンドに接近するため、まだ黒いコンクリートの肌を露出させた足場の側面を塗っていきます。

…そして、ハレーが高台に接近したのと時を同じくして、前線へと飛び出してきた伏兵がもう一人。
バンカーの後ろでじっと機を伺っていたローラーの少女は、タカナのボムラッシュの矛先が自分のほうへ向きようもないことを確認し、今が好機とインクから飛び出しました。
彼女は敵に気付かれないよう、ローラーの丸太を地面にしっかりとつけると、高台の周りをぐるりと回りこむように移動を始めます。
敵陣の小さな衝立の真下…先ほどビーコンが壊されていた位置にふたたび拠点を仕掛け、最後1分の闘いをギリギリで制するためのトリックにするつもりでした。
彼女が姿を晒して敵陣を塗り進んでいたのは、ベンガー少年によるスーパーセンサーが発動中のマップを見て、そこに至るルート上には、自分を狙うものが居ないと判断してのこと。
ところが、目的地まで順調に塗り進められるという彼女の目測は外れることになります。

「うッ!?」

タカナがバトルの始めに塗ったクォーターパイプを乗り越えるため、ローラーの一振りで紫に塗り替えようとしたところ。
背中合わせに配置された2つのパイプの向こう側から、鋭いインク弾が襲い掛かります。
たった今作り出したインクの帯により、すんでのところで退避した彼女は、敵の姿を視ることが出来ました。
自陣付近に居たはずの敵の一人が、塗り進むインクの帯を見つけて、彼女の進撃を止めに来たのです。

「よう。アンタには逃げられてばっかりだな」
「お前は…!」

ローラーの少女にとって、そのサニーオレンジのシャツには見覚えがありました。
バトルの序盤にスーパーセンサーを使って、自分を追い詰めてきたN-ZAP使い!

「今度は自陣にジャンプは出来ないはずだよな。モタモタしてたら負けちまうんだから…。いざ尋常に、勝負と…」
(厄介なヤツに捕まっちまった…!)
「あッ、まだ逃げるか!?」

トプン、と音を立ててセンプクし、彼女が緊急回避のため選択したのは、アンジが居る側とは反対のクォーターパイプを登ること。
奇しくも敵側のローラー…ファダがセンプク場所に選んだところと、対称な位置を戦場として選ぶこととなりました。
ただし、そこはいまオレンジのインクで塗られた敵優位の場所。
しかも自分の居場所が割れていることから、決して有利なポジションとはいえません。
彼女の意図は、死角の多いその場所の特性を生かして、追跡を振り切ることにありました。

…そして、今ようやくボムラッシュの刻が過ぎ去り。

「えい!えい!…あれ、ボムが出ない!?どうしてッ」

懐から無尽蔵に生成されるボムが打ち止めになり、タカナはボムを入れたポーチをまさぐります。
自分のインクが切れたのだと認識するために、少しばかりの時間が必要でした。

(そうか、ボムラッシュが終わったんだ。…結局、一人も倒せなかった…)

彼女に出来たことは、敵に塗り返された前線をほんの少しだけ敵陣側に押し戻すことだけ。
自分をカバーしてくれている味方に比べて、収穫がまるで少ないことに胸を痛めるタカナですが、これしきのことでへこたれる訳にはいきません。

(! リンドちゃんがいない?敵のインクがこんなに近くにっ)

ボムラッシュ発動中の彼女は、周りが全く見えていませんでした。
気が付くと、背中を任せた相棒は高台の上から消えており、代わりにキューバンボムのつけた紫の丸いインク跡が残されています。
低所を見ると、シューターで塗られたまだらのインク跡が高台のすぐそばまで続いていました。
タカナの関心は、勝負の行方を決定付けるスーパーショットの持ち主が今どこにいるかということ。

「あっ!」

いました。敵陣に向かって高台の右側の広場、先ほどオレンジのインクで自分が塗りつぶした場所を、敵陣の方向へと向かってイカダッシュで走り抜けています。
彼女は攻めているのではありません。後ろから迫ってくる脅威から逃げているのです。

キューバンボムラッシュだ…!」

水風船のような形をした即席ボムとは異なる、一発一発が必殺の威力を持った高性能ボム。
それがまるで星のように、地面にバラ撒かれていました。
みるみるうちに、低所は紫のインクで塗り返されていきます。
円筒型の張り付き爆弾は、鋭い先端をもつ計器つきシューターの付属品。
放つは黒いシャツを纏う、容姿端麗にして好戦の少女…ハレーです。

「くっそー、卑怯だぞ!トコトン撃ち合うって言ったでしょうがー!」

リンドは、敵と交わした約束が反故にされたことに怒りを覚えていました。
最も正々堂々とした形…メインウェポンの性能と使い手の腕前で勝敗が決まると思っていたのですから、突如現れた円筒型の援軍の登場は彼女にとって、明らかな裏切りです。

「私じゃなくて、アナタが言ったのよ、それは」
「受けて立ったと信じてたのよッ。うわ、わッ」

リンドは空中を飛んで追いかけてくる数多の刺客から何とか自分の身を守りながら、逃げ延びたい心境とは裏腹にだんだんと危険な敵陣へと近づいていきます。
クォーターパイプを登りきったところで、また足元に一つボムが置かれました。
しかも、ヤシの木の植え込みの土台、絶妙に低く見えにくい位置に設置されたスプリンクラーの仕業で、これ以上逃げることが出来ません。

「嘘っ、何この意地悪なスプリンクラー!」
(褒め言葉と受け取っておきますぜ、お姉さん)

.96ガロンを持つベンガー少年は、敵陣側のハーフパイプにおいてファダ少年と交戦しているさなか、急に聴こえてきた少女の金切り声が自分の設置したスプリンクラーに関するものであることがすぐに分かりました。
謂れのない人格批判に少しばかり傷つきながらも、研究成果から導かれた設置場所の優秀さは保証された訳ですから、心中は複雑です。

こうしてリンドが敵インクの縁に追い詰められるまでの間。
高台にいる唯一のプレイヤー…タカナは、ただ指を咥えて見ていた訳ではありません。

(…思い出すんだ。ミツさんに教えてもらった、クイックボムの投げ方)

彼女の役割は、スーパーショットを放てるようになるまで、リンドを生かすこと。
その作戦を遂行するために、キューバンボムラッシュの元を断つことを狙っていたのです。
クイックボムラッシュが使えなくなった今、たった2発しか生成できないボムで確実に敵を仕留めなくてはなりません。
先ほどのように、雑な投擲は許されないシーンでした。

(さっきは興奮して、忘れてた。クイックボムを投げるとき何より大事なのは『絶対に当てる』こと。一投入魂の気持ちだ)

こんなときにタカナが反芻するのは、いつだって…敬愛するチームの先輩から伝えられた言葉です。
バケットスロッシャーを愛用するミツは、そのサブウェポンであるクイックボムの運用について、Suckersイチの含蓄がありました。
メインウェポンと組み合わせた敵の撃破、長い射程を生かした索敵、足場の確保…自由自在に使いこなす技術を、タカナは一通り仕込まれていたのです。

「クイックボムを直撃させるのは、実はシューターの弾を当てることと同程度に難しいの。いい加減な投げ方じゃ、いい結果は得られないよ」

最大のダメージを与えられるか否かが投擲の正確性によって決まるクイックボムにおいては、いい加減な投げ方をしてはいけないとミツは言いました。

(そして、敵のキルを狙うときは、当てやすいタイミングを選ぶこと。…今だッ!)

ボムラッシュを発動中の敵はその姿を晒しています。
狙いさえ定まれば、ボムの命中難度はさほど高くない相手のはずです。

(えいッ!)

敵に感づかれないよう、声を噛み殺して投げ込んだ2発のボムが、空中を舞いました。
敵の頭上から飛来すべく、重力に従い落下していきます。
ハレーがその物体に気付いたのは、彼女の顔面に最初のボムが命中したときでした。
バシッ!と音を立ててボムの外壁が破れ、端整な彼女の顔をオレンジのインクで汚します。

「うあッ!これは…」

獲物を追っていた彼女は、頭上からやって来た突然の衝撃にのけぞり、顔をしかめます。
クイックボムはあくまで即席のインク爆弾ですから、頭部に命中したところで必殺になるわけではありません。
しかし、2発目の命中しだいでは生身のイカが耐えられる閾値を越えるはずでした。

(高台からの攻撃!…まだ敵が居ると思わなかったわ。ここは無理しないことね)

キューバンボムラッシュ発動中のハレーでしたが、彼女は冷静でした。
リンドを追う手を緩めずにボムを投げ続けていたら、2発目のボムが直撃して、今度こそ身体を吹き飛ばしていたことでしょう。
メインウェポンで足場を素早く確保すると、イカに変身して身体の向きを前後入れ替え、自らのボムラッシュで作ったインクだまりを使い退避します。

(! 外れた…でも、まだチャンスはあるッ)

じっくりと敵の動きを観察する時間を設けたことから、タカナは2発のクイックボムをタンクが満タンの状態から投げ始めたのです。
だから、まだメインウェポンを数発撃つだけの余力が残っていました。

(敵が居る場所は分かる。インクだまりはあのヒトから見てわたし達の陣地側へ伸びている…その末端にいるんだ!)

センサー…兵器の助けがなくても敵の居場所を知ることが出来ること。これもチームの先輩たちから教わったことでした。
それは観察と推理、そして経験によってなされるべきこと。
タカナは3つ目の要素に関してはまだ欠けていましたが、ほかの2つの能力については高い能力を誇っていました。
それは、まだヒトの姿にもなれない幼いイカのうちから、Webでナワバリバトルの映像を繰り返し観てきたから。
そして、推理の結果なすべき行動についても、彼女の引き出しにちゃんと入っています。

(ケビンさんが言っていた。シューターを使って、居場所の知れている敵を高所から追い詰めるとき)

数々のバトルにおいて前線の闘いを切り抜けてきたケビンは、タカナに実践的な立ち振る舞いのアドバイスをしていました。
彼の教えた戦術のなかで、確実にキルを取れる状況が、今まさに目の前に出現したのです。

「敵の居所を暴いた時、決定的に自分有利の状況が生まれる」

カンブリアームズ裏手の射撃場で練習をしているとき、ケビンとガッツがシューターを持って、タカナに近接戦闘のレクチャーをした時のこと。
ケビンは壁に設置された金網の上に立ち、金色に輝くシューターをガッツに突きつけながらそう言ったのです。
その直後のケビンの動きを、タカナは脳裏に焼き付けていました。

「そんな時は迷わず跳べ! そして、着地までに倒すことだッ」

ケビンは金網の縁を思い切り蹴って飛び立つと、宙に舞った身体をほぼ水平に傾けて、黄金色の銃口をガッツの潜むインクだまりへと向けます。
金属光沢のある無骨な銃身は、的役として棒立ちのガッツの頭上から、容赦のないインクの雨を降らせます。
練習のため、インクの色を合わせていたガッツでしたが、攻撃性の無い緑のインクを頭上からしこたま被ることになりました。
二人がバトルで敵対している状況であれば、間違いなく身体の形状を保てない量であるはずです。

(そんな時は迷わず『跳べ』…!)

ケビンの口調で脳内再生された格言は、タカナの身体を突き動かしました。
「敵に近づくことを恐れるな」とケビンは言いました。
いかに接近戦に有利不利があるとて、先制攻撃で倒してしまいさえすれば、敵の持つブキがローラーだろうと、ボールドマーカーのような接近戦に強いシューターだろうと、張子の虎に過ぎないと彼は言うのです。
今がその教えに従うときだと、タカナは直感しました。
好機の活かし方を身体に覚えさせていたタカナは、反射的に高台から助走をつけて飛び立ちます。
全速力でジャンプした空気抵抗で狙いがブレてしまわないこと、ただその一点だけに気をつけて、スプラシューターをしっかりと構えます。

「おお…っ」
「見えてない敵に向けてまっすぐ跳んだ!…あんな動きが、まだバトル経験数戦の初心者に出来るなんて…!」

その教えを示した本人であるケビン、そして彼女の総合的な指導を受け持つミツですら、タカナが見せた鮮やかな動きに驚きました。
Suckersにとって、バトル経験がまったく白紙の状態から後輩を育てるのははじめてのこと。
実に、それは如何なる有名チームにおいても得ることの難しい、稀有な経験でありました。
多くのナワバリストは、バトルの経験を積むうちに外部のチームから見出されるか、自ら入団を志願するかしてチームに入るのですから。
そんな彼女に、持てるノウハウの全てを注いで育ててきたSuckersにとって、この光景はあまりに特殊で、新鮮で、誇るべきことでした。
それは、チーム一小さな身体に眠っているポテンシャルがとりわけ大きいということと、自分たちの指導方法がその才能を確実に伸ばせていることを、如実に示す結果だったのです。

(当たって…!)

宙にふわりと浮いた身体が地面に落ちるまでの間、タカナの視界はスローモーションのようにゆっくりと動いていきます。
高台のそばの長方形の足場を飛び越えて、敵が潜むであろうインクだまりの隅…コンクリートの足場が90度のコーナーを作る、中央広場の端の端に狙いを定めて彼女は飛来します。
タカナは祈るような気持ちで、その場所にインク弾を撃ちこみました。

「ぐぅっ…!」

息を潜めて彼女の攻撃をやり過ごすつもりで居たハレーは、まさにタカナが看破した通りの位置にその身を隠していました。
クイックボムを受けて傷ついた身体にダメ押しの一撃を受けた彼女は、耳に届くか届かないかという小さな悲鳴を上げました。
空へと消えていく敵と入れ違いに、トプン、と音を立てて、タカナの身体がインクの中に沈み込みます。

「うわあっ…!」
「やりやがった!」

高台から飛び立ったタカナがキルを取る様子をマップ越しに見ていたSuckersの面々は、彼女が見せた鮮やかなキルに大いに湧きました。
マップを手に持って息を呑んでいたミツがまず歓喜の声をあげ、そこにツルギが同調します。

「完璧なキルだ。一人前のシューターへの階段を、一つ登ったな」
「うへ~…!自分は、あんな動き出来る自信ないですよ…!」

まるで練習の風景をリプレイしたように、教え通りのキルを取ったタカナに、Suckersは賞賛の声を上げます。
ミツの持つえんじ色のメモ帳に、「この試合初めてのキルは、鮮やかなダッシュジャンプとともに」という走り書きの文字と、その文字を囲むインクがぐるぐると刻まれました。
一方で、当の本人はと言うと。

(や、やった?)

決め打ちで動いた結果がどうなったか瞬時に判断出来なかったタカナは、「まだ敵が居るかも」という思いから急いで着地地点を離れました。
安全そうに見える壁際へと逃げ込み、マップで状況を確認します。
今自分が飛び込んだ場所…90度のコーナーの上に紫色のバツ印が付き、確かに彼女が難敵を倒したことを告げています。
彼女は身体の力がドッと抜けるのを感じました。

(あぁ…よかった。やっとキルが取れたんだ!)

これまで1つのキルも取れていなかったタカナにとって、それはようやく掴んだ一つ目の活躍でした。
チームメンバーに報告できる功績を一つ手に入れたことに、ホッと胸をなでおろします。
目立たないキルではありますが…間接的にこの出来事を知った者がいました。

(ボムラッシュ、止んだ。…あのコが何とかしたってことかしら?)

爆風で少しずつ身体を削られ、敵のインクに囲まれた状況に追いやられていたリンドは、空中を飛ぶボムの駆動音が突然鳴り止んだことに気が付きました。
まだ地面に数発のボムが残っていますから、身動きせずにそれらの爆発を待とうと決めていた間のことです。

(へえ。やるじゃない!)

彼女は思いがけない仲間の活躍に感謝し、自分の身を守るための行動をそのまま取り続けようと判断しました。
追っ手は居なくなったのですから、その場にただ留まるだけで、命拾いできるという判断です。

このとき、彼女の頭からは一つの事実が消えていました。
それは、キューバンボムラッシュは敵チームが持つ4つの脅威のうち、ただ一つに過ぎないということ。

(リンドちゃん。まずはリンドちゃんと合流するんだ)

キルを取った直後で浮かれているタカナの頭にも、その注意は抜け落ちていました。
しかしこの時、彼女らから見えない位置で、次なる脅威が着々と進行していたのです。
密かに蓄えられたインクの暴力が、彼女らに襲い掛かるべく。

「リンドちゃん!」

タカナはクォーターパイプ上に、難を逃れた仲間の姿を確認し、声を掛けました。
ボムを投げつけて、厄介な位置に取り付けられたスプリンクラーを破壊していたリンドは、自分を救ってくれた功労者に顔を向けます。
タカナちゃん、と声を上げようとしたその瞬間でした。
ちょうど彼女の頭上から、見慣れぬ大きな物体がまっすぐ飛来してきたのは。

「え?」

空を見上げたタカナの表情は固く曇っていました。
キィーン、と音を立ててやってくる物体は、近づくほどにその大きさを明確にしていきます。
ヒトの背丈の数倍もある大きさの物体が、まちがいなくリンドを目掛けてやってきているのです!

「悪いけど、アンタにもうスーパーショットは使わせない。…使わせたくない」

そのブキが襲い掛かる光景を眺めていたのは、紫チーム側の…ジェットスイーパーを持った少年。
彼はハーフパイプからつながる見張り台の上に立ち、リンドに付着した紫のインクの気配を頼りに、その兵器を発射したのでした。
Bバスパークでの闘いにおいて、見通しが良く反撃を受けにくいこの場所に立ち、敵の様子を伺うのは彼の基本戦略。
そして、冷静な目で戦況を見つめる平時とは異なり…敵を罠に嵌めて倒す瞬間、彼の目元は愉快そうに歪むのです。
彼が放ったのは、窒素と酸素から成る空気の海を泳ぐ「魚型空雷」。
着弾前に弾頭が破裂し、渦巻くような跡を残す性質から、「トルネード」と名づけられたスペシャルウェポンです。
その飛行音がリンドの耳に届いたとき、もう着弾まではわずかな猶予しかありませんでした。

飛行機のような甲高い音が鳴り止んだとき、彼女は残存するキューバンボムに囲まれて、身動きの取れない状態にありました。
しかも頭上から降り注ぐ大量のインクは、目視とマップの情報から確実に割り出されたリンドの位置に、正確に狙い澄まされています。

(に、逃げようがない。タカナちゃん、ゴメン…! ドジ踏んじゃった)

液体が頭上から降り注ぐ直前、彼女に出来ることは…着弾の衝撃に備えて耳を塞ぐことだけでした。
脳天を打つ強烈なインクの衝撃がまず走り、大きな質量を持ったインクの塊が地面を撃つ轟音が響きます。
地面にびちゃびちゃと降り注ぐインクは、泡がはじけるいびつな音を立ててのたうち回り、リンドの身体を念入りに壊していきました。
その様子を間近で見ていたタカナには、何も出来ることはありませんでした。
トルネードが蓄えるインクが全て地面に降り注いだとき、その場所は渦巻状に敵のナワバリと化してしまいます。
シン、と静寂が戻ってきたとき、リンドの姿は影も形も無くなっていたのです。

(…な、なんてコト。頼みのリンドちゃんが居なくなっちゃった)

心のどこかで頼りにしていた少女が姿を消して、タカナは瞬間どうしたらいいか分からなくなりました。
実戦経験の乏しい彼女は、何より不測の事態に弱く、想定外の出来事が起きたときの立て直しがすぐには出来ません。

そこで彼女は、リンドの弔いとばかりに、トルネードのインク跡を塗ることを初めに選択したのです。
半ば呆然としており、思考停止に陥っている折、精一杯の動きでした。

(つ、次は高台の確保)

タカナはこのステージでの勝敗を決める重要拠点が、いま空座になっていることを思い出しました。
トルネードのインク跡を塗りつぶすと、もう一度レールから高台へと進撃します。
…この順序が間違いであったことに気付くのは、丸い足場へと飛び移ろうとした瞬間。

「あう…!」

バチン、と顔面に焼けるような痛みが走ったかと思うと、タカナの身体は足場の外へと跳ね返され、5メートルはあろうかと言う高台から真っ逆さまに落ちてしまいます。

「あわわっ!」

イカは骨がなく落下の衝撃に強いことから、この程度の高さから落ちても何ということはないのですが、身体が不意に重力の虜になる恐怖感に変わりはありません。
驚いた彼女はイカに変身することを忘れて、ビタンと地面に背中を打ち付けてしまいました。
仰向けになった彼女が高台の上に見たものは、彼女を跳ね飛ばした番人の存在。
細くしなやかなカサ状のレールから、機構内がカラになるまでインクを噴き出し続ける装置…スプラッシュシールドでした。
そして、その後ろに立つ、迷彩柄のつば広帽子を被った見慣れぬ少年が、青色の機銃を彼女にまっすぐ向けています。

「随分甘い立ち回りをするんだな。みすみす高台を明け渡すなんて」
(しまった…!)
「覚えとくんだな…俺はリャハン。アンタも俺の功績の一つになる」

彼の言葉から息継ぎをする間も無く、紫色のインクが襲い掛かります。
シールドの間をすり抜けて頭上からやって来るインクに応戦しようと、タカナは素早く立ち上がりスプラシューターを高く掲げ、高みにいるリャハンに向けました。
しかし、これが間違いでした。シールドに守られた相手に真っ向から応戦しようとしても、攻撃がまったく通用しないのですから、勝ち目はありません。
その愚に気が付いたのは、「逃げる」という選択肢を選び損ねた後のことでした。

(しまった!わたしまでやられたら…)

敵はハレーを除く3人が健在。こちらのチームはリンドがやられ、タカナがやられ、残り2人で戦線を維持することになります。
既にかなり中央広場の侵攻が進んでいますから、優位を覆されかねない状況に追い込まれるでしょう。
しかし、敵に向けた銃口はシールドに行く手を阻まれて、敵に効果的なダメージを与える術を持ちません。
逃げようにも、ただでさえ射程の長いジェットスイーパーが高所から狙い撃つのですから、逃げ切ることは難しいでしょう。
この手詰まりを打破する方法は、彼女の引き出しにはありませんでした。
どうする、と自身に問いかけるも、答えは見つかりません。

この一瞬の逡巡の後です。
彼女が、「ナワバリバトルはチームスポーツである」ということを、深く胸に刻むことになるのは。

シールドに守られ敵のナワバリと化した高台は、彼女にとって破る術の無い城のように見えました。
そして、磐石の守りに屈せず立ち向かおうとした、愚かな自分を嗤う者がそこに。

こんなどうしようもない状況を打ち破るにはいつだって、自分以外の何者かを味方に付けるほかはありません。
歴史上の物語であれば、それは天からの使者であったり、その地に住まう守り神であるでしょう。

ですが、ことナワバリバトルにおいて。自分を救う「何者か」は、常に同じ立場の者が担うものなのです。

憎き敵を打ち破る使者は、まるで空から舞い降りたように、突如その根城の中に姿を現しました。
地べたから高台のようすを見上げていたタカナにとって、その姿はまるで、悪い王さまを空からさらう天狗のように見えました。

「なに…!」

リャハンがその存在に気付いたのは、静かな闘争心を湛えた鉄槌が、彼の頭上に向けて振り下ろされる直前のこと。
ぐわっ、と得物を振りかぶる音を立てて、高台に現れた刺客が一人。
その正体こそは、鉄壁のシールドも、インクリングのもろい肉体も、もろとも叩き潰す暴力を携えた、オレンジチームのファダ少年であったのです。

「ファダさぁん…!」

彼は眉一つ動かすことなく、オレンジのインクがべっとりと付いた恐るべき凶器を、リャハンの頭上に振り下ろします。
ガコン、という鈍い音がした後、強靭なフレームがぐにゃりと曲がったスプラッシュシールドが、ガァンと自壊する音が聞こえてきました。

「ぎゃあっ…」

頭にめり込むほどの一撃を受けたリャハンは、存命が危ぶまれるような派手な叫び声を上げました。
しかし心配は無用。カンブリアームズ謹製のブキはナワバリストたちの安全を担保するために、物理的な破壊力が最小限に抑えられるようチューニングされているからです。
とはいえ、たっぷりとインクを湛えた重たい丸太を頭上から振り下ろされたからには、ちょっとやそっとの痛みで済むはずはありません。
…こればかりは、ナワバリバトルに参加することの代償として、受け入れねばならないことでした。
彼の身体は、オレンジのインクの作用で潰え、生物としてのカタチを失いました。
主を亡くしたジェットスイーパーの銃身がガタンと音を立てて地面に落ち、オレンジのインクに沈んでいきます。

「ああ、よく覚えておくぜ。アンタの名前はリャハン…オレの功績の一つだ」

ふわりと地面を離れた敵の名残を見つめ、ファダはにやりと笑います。
身体は失っているものの、声は変わらず聞こえることから、この挑発はリャハンの耳にハッキリと届いているはずです。
負けず嫌いのインクリングたちを相手取った闘いですから、こういった口撃によってバトルの流れを掴むことが重要であると、彼はよく知っていました。
こうして、一寸の間に危機は去り、タカナのあずかり知らぬところで、高台はまたしてもオレンジチームのものとなったのです。
窮地を救われたタカナは、へたりと地面に座り込んでしまいました。

「た…助かった…」
「よう、嬢ちゃん!アンタ、オレのサポートするって言っといて、全然姿を見ないじゃ…」

ところが、その時。
高台の優位を手中にしようとしていた者は、彼一人ではなかったのです。
ファダ少年の奇襲に折り重なるようにして、タカナから見て反対側のレールから現れた影がまた一つ。
先ほどのシーンをプレイバックしたかのように、今後は紫のインクを湛えた者が現れます。
重要なちがいは、その少女の丸太の切り口には、クラーゲスの刻印が刻まれていること。

「なに…!」

不意を付かれたファダ少年は、地面に据え付けたローラーで敵を轢き倒す判断をする間も無く、紫のインクを頭から被ってしまいます。
低い悲鳴を上げて、彼の身体はあえなくBバスパークの中心から去ることになりました。
彼の塗ったオレンジのインクの上から折り重なるようにして、紫のインクがふたたび高台の領有権を主張します。
その主となったのは…スプラローラーコラボを構え、イカンカンを目深に被った、紫チームの少女でした。

「よぉ。悪いけどアタシは名乗る気はないのよ…主義じゃないからさ」
(あの子は…!)
バイバイ、カッコ付けのローラーくん♪ …さて」

ローラーの少女は、愛想の良いスマイルで、オレンジ色をした少年の気配が自陣の復活ポットに向けて飛んでいくのを見送ると、すぐに表情を険しくします。
彼女は自分が登ってきたほうとは逆側のレールのほうを向くと、手にした得物を素早く頭上に振り上げました。
腕を下方に振り、また持ち上げる動きを繰り返すことで、一撃必殺のインク弾を三度飛ばします。

「オラ、いつまでも隠れてると塗り負けんぞ!?」
(! わたしがここに居るの、バレてる…!?)

タカナはローラーの少女が見えた瞬間に変身し、垂直に切り立ったレールが接地する、まさにその場所にセンプクしていました。
少女が飛ばしたインクはタカナの頭上を越えて、ちょうどレールの入り口を取り囲むように紫のインクの包囲網を作り出します。
姿を晒さなければ、逃げ場のない状況に追い込まれました。

「…そこらにいるんだろ?かかって来いよホラ。決着付けようや」
(…いま、『そこら』って言った。わたしを囲むようにインクを塗ったのはたまたまで、ここに居ることは分からないんだ)

少女が高台の向こう側にタカナがいることに感づいたのは、リャハンが高台に登り、スプラッシュシールドでレールの出口を塞いでいたときのこと。
紫チーム側の見張り台から中央高台の様子を見張っていた彼女は、スプラッシュシールドに跳ね飛ばされたタカナの顔が、一瞬だけ見えたのです。

(あの間抜け面、印象に残っちまった…ウケる)

ローラーの少女はその瞬間のこと…紫のインクの壁にヒトの姿で顔面から突っ込んで、両目がバツの字になる程固く閉じられ、口がポカリと開いた彼女の顔をよく覚えていました。
思い返すと可笑しくて力が抜けてしまい、振り上げたローラーもろとも、危うく転びそうになりました。
そんなことを露知らぬ本人は…。

(これは、チャンスかも知れない!敵はわたしがインクを塗り返さないと、高台に登れないと思っているんだ。でも、目の前に道はある)

反撃の機を伺っているところでした。
リャハンに行く手を阻まれたときのまま、高台上へ続くレールはオレンジ色に保たれています。
タカナはこのまま姿を晒すことなく、高台の上へと登ることが出来るはずでした。
少なくとも一度は姿を晒さないといけないと思っている敵の、意表を突く攻撃が出来るはずです。
いざ、動き出そうとした次の瞬間。
ピコン、という電子音。続いて、ガシャン、という、何かの機構が変形する音。

(…!?)

続けて聴こえてきた、テテン、テテンという断続的な稼動音には聞き覚えがありました。
ナワバリバトルにおけるサブウェポンの一つ…ジャンプビーコン。
ローラーの少女が、紫チームのメンバーがスーパージャンプで移動できる拠点を、高台の上に置いたことを意味します。

(ビーコンを置いた…!?高台の上にビーコンなんて、そんなの…聞いたことない!)
「ほらぁ、早くしねーとコッチの味方が飛んできちまうぞ!?」
(これって…!)

心理戦には必ずしも長けていないタカナでしたが、このときばかりは、敵の考えていることをハッキリと読むことができました。

自分は、舐められている!

いま彼女が置いたビーコンの位置は、ナワバリバトルの定石から言ってあり得ない選択。
そのことを、彼女はチームの先輩たちから教わった知識から導き出したのです。

ジャンプビーコンの置き場所は、少なからず敵から見えにくい場所、というのが基本です。
見えやすい場所に置かれたビーコンは敵に壊されやすく、スーパージャンプで飛んでいった際にも、敵から狙い撃たれるリスクが非常に高いためです。
事実、このときオレンジチーム側のハーフパイプを防衛していたベンガーは、マップを確認すると怪訝な表情になりました。

「…!? 何だこの奇天烈なビーコンは。こんなモン使えるわけないだろ」

だから、このビーコンの置き方はおかしい。
誤って置いたのでなければ、通常の戦略とは異なる…別の意図があるはずでした。

(あれは、囮だ! わたしが仲間を呼ばれるのを恐れて、壊しに行くところを返り討ちにするつもりなんだ)

タカナはその答えを、不思議なほど早く導き出すことが出来ました。
それは、ビーコンがそこに置かれた事実のみでなく…彼女を煽り惑わす、ローラーの少女の声色もヒントになったのです。

(使われもしないビーコンにわたしが焦ると思って…バカにしてる…!)

自分がビギナーとみなされ、舐めた戦略を取ってきた敵に憤る気持ちはありましたが、タカナはそれでも冷静でした。
待ちの戦略に敵が切り替えてきた以上、自分が後手に回ってしまったということになります。
高台に登るのを敵が待っているのですから、シューターの自分が高台に乗り上げた瞬間、標的にならないようセンプクして待ち構えているはず。
ローラー相手に近接戦闘を仕掛けるには、突然目の前に飛び出した上で、すぐさま敵にインクを浴びせなければ勝ち目はありません。
先ほどのように敵が姿を晒して、インクを飛ばしている間が不意打ちのチャンスだったのです。

(落ち着け、わたし…ここはいったん、退くんだ)

タカナの選んだ戦略は、後退。
断たれた退路を、ヒトの姿に戻りオレンジのインクで塗り重ねることによって取り戻し、自陣側へと続く道を作り出します。
高台上からローラーのインクの飛沫を受けないように注意しながら、移動していきます。

(あん?アイツ…逃げたのか)

ローラーの少女が逃げるタカナの姿に気付いたのは、彼女が背丈ほどある段差を塗り、オレンジチーム側の陣に戻ろうとしているところでした。
万全に塗られた高台の端に潜み、彼女が登ってくるのを今か今かと待っていたところでしたから、この結果は面白くありません。

「クソ!どんだけ臆病なヤツだ…!」

悪態をつく彼女ですが、タカナが「臆病だから逃げた」と考えたのは、ある意味無理のないこと。
ナワバリバトルの経験者が知る、典型的な初心者は…敵が目の前にいなければむやみに塗り進むことしか知らない存在なのですから。
今のように、敵を目の前にして逃げるなどと言う選択は、怖気づいたときの逃避行動としか解釈できないのがふつうです。
彼女の目を曇らせたのは、タカナに生き延びるための知恵を付けさせた者たちの存在を知らなかったこと。

(…まぁ仕方ない。今はカラッポになった広場を塗ることだ)

「Now or Never!」も既に最後のサビに突入し、制限時間は残り20秒ほどとなっていました。
ややオレンジチーム優勢のマップではあるものの、高台にいるローラーの少女の働き次第で紫チームは大幅に版図を拡大し、五分の状態に持ち込まれるでしょう。
その情況を飲み込んだオレンジチームの選手たちは、一刻も早く敵の侵攻を挫くべく、前線である中央広場へと急ぎ駆け抜けます。
それは、敵の折り重なる魔の手から逃れ、何とか命拾いしたタカナと合流する動きでした。

(アイツに勝つ気があるなら、また前線にやって来るはずだ。そこでブチのめしてやればいい)

塗り仕事の最中、ローラーの少女の思考は、すべてタカナからキルを取ることに集約されていました。
あさっての方向を塗りつつ、マスカラの下の強烈な目力で牽制してくる彼女に対して、タカナは広場になかなか踏み出すことが出来ません。

(うう、あのヒトずっとこっち見てる…塗り辛いよう)
「やっほ、タカナちゃん」
「え?」

後ろから肩をポンと叩かれ、タカナは振り向きました。
声をかけながらも気は緩みなく敵の陣地を塗る、フェアリーピンクのルージュが麗しい横顔は、先ほどまで背中合わせで高台を守りあった戦友…リンドのものです。

「リンドちゃん!」
「ゴメンね、一人にしちゃって、辛かったよね」
「ううん。あのあと、キルは取れなかったけど…ちゃんとこうして生き残ったよ!」
「うん!空から見てた。初心者とは思えない、立派な動きだったよ」

一度は別れた味方との合流は、タカナにとって大いに勇気付けられる出来事でした。
そしてそれは、鮮やかな動きでキルを一つ取り、死地を好判断で潜り抜けたいまの彼女にとって、単なる気休めではありません。
ここまでのせめぎ合いが彼女を成長させたのか、リンドの顔を見るや、倍になった戦力を活かす方法をまず考えました。
そして、思考は状況を打開する具体的な一歩へと結びついたのです。

「あのっ、リンドちゃん。お願いがあるんだけど」
「え?折り入ってどうしたの」

たった20秒間だけ残された黄金の時間を、彼女は一部削り出して、戦略立案に使うことを選択しました。
ただ3秒の情報伝達で、タカナは自分の考えをリンドへと伝えます。
最後の攻防を占うべき、初心者なりの精一杯の作戦。
その言葉を聞いていたのは、横で耳をそばだてる少女だけではありませんでした。

突然、足元のオレンジのインクが揺らめいて、ヒトの形に盛り上がったかと思えば、大きな得物を抱えた少年が飛沫を飛ばし、敵のインクに塗られた高台の右側のルートに飛び込みます。
思わぬ人物の登場に会話は打ち切られ、二人は頓狂な声を上げました。

「うわぁ!?…ふぁ、ファダさん…!」
「OK!そのセンで行こうぜ」
「こ、コラっ!ローラーが敵陣に突っ込んじゃダメでしょうが~!」

サムズアップを一瞬だけ見せて先走ったファダを、リンドは慌てて追いかけます。
期せずして、ローラーをシューターが守る形が出来上がりました。
ファダは二人の相談をそばでこっそり聞き、有用性を確かめ…一早く実行に移したというわけなのです。

「ファダさん、何でそんなに復活が早いんですか…!?」
「デキる男は立ち直りが早いもんだ。そんな俺の重視ギアパワーは『復活時間短縮』」
「そんな前に出て、またやられても知らないわよ…」
「そうならないよう、サポート頼むぜ」

ファダとリンドは、賑やかに高台の右側へと攻め入って行きます。
敵の攻撃を恐れず先陣を切るローラー、その後ろからサポートするシューターの姿が、高台上にいるローラーの少女に見えない訳はありません。

(敵が来た!…跳びかかれば届く距離だな)

イカダッシュで最高速の助走をつけ、高台から飛び掛かり低所の敵に不意打ちする動きは、彼女にとって幾度と無く経験してきた動きです。
Bバスパークでの闘いに特化した彼女の経験則により、その距離感は非常に正確であり、先陣を切るファダは間違いなく彼女の手が届く距離にいました。
ですが、彼女は踏みとどまります。

(あのローラーはバカじゃない。ここに居るアタシのことは気付いてるし、後ろを味方が守っていることを見越してのゴリ押しだ…アイツをやってもシューターに仕留められて相打ちか)

採算が取れない、と少女は思いました。
いま手にしている高台の優位を考えれば、よくて相打ち止まりの戦略は実行するに値しません。
それに、間も無く彼女側のチームメンバーも、復活して中央広場へと進行してくるはずです。
その中には、先走るローラーを仕留めるのに適したブキを抱えた者が、何人もいることを思い出しました。

(ここは無理できない。一旦退くぞ)

もともと、彼女の得意な戦略はヒット・アンド・アウェイ。
高台上に長々と居座るよりは、登り降りを繰り返してチャンスを伺うことを基本としていました。
丸い足場からふわりと身体を逃がし、敵の死角にあたる長方形の足場へと着地しました。

ところが、安全な退避先へ移動し機を伺うという、彼女の目論見は外れることとなります。

(なにッ!?)

選んだ退避先…長方形の足場の上は、すでに事実上の敵の領域と化していました。
降りてくる彼女の身体を吹き飛ばさんと、キューバンボムが張り付いていたのです。
快走するファダ少年が、彼女が無理せず死角へ逃げ込むことを見越し、正確な投擲でその場所にボムを放っておいたのでした。

(ぐおおっ!)

彼女は精一杯に身体の方向をねじり、着地と同時に進行方向を強引に切り替えます。
爆発音を立て、狭い足場は紫からオレンジへといっぺんに塗り替わります。
間一髪で被弾を逃れたあと、彼女はファダとリンドが居ない側の、中央広場の低所へと逃れます。

(危なかった…! あのローラーの奴、攻めの切れ味がハンパない。うざったいタイプだ)

味方の合流は秒読みです。
そのタイミングに合わせて再び高台を乗り越え、憎き鏡合わせの敵を仕留める。
彼女は最後の20秒弱を、勝利のためにそういう形で使うべきだろうと考えました。
このときはまだ、先の駆け引きに思考を取り込まれ、たしかにあったはずの自分の感情のことは頭から消えていたのです。

彼女は、このとき思いもしませんでした。
自分の判断で降り立ったその場所こそが、誘い込まれて辿りついた最後の戦場だということを。
そのことを彼女自身に知らせたのは、ただ一発のボム。
因縁と激情を呼び起こさせる、許しがたい一撃でした。

「ぬあッ!」

安全と思っていたその場所で攻撃を受け、彼女は苦痛に顔をゆがめました。
被弾は浅く、先のキューバンボムのダメージと合わせても、身体の形状を保てなくなる閾値を超えることはありません。
ですが、線香花火にかざした手のようにチリチリと焼け付く肌の感覚が、彼女の怒りを呼び起こしました。
そしてその感情は、ボムを投げつけた者の姿を視認したことで、急激に彼女の胸を支配します。
宣戦布告のようなボムを放り投げた右手はそのままに、オレンジのインクだまりの中に立つ少女。
まだ幼気な顔をバイザーメットに隠したその少女とは、このバトルにおいて4度目の邂逅でした。

「…お前かぁっ!」
(やっぱりここに来た!…うう、睨みがコワい…!)

吼える少女にひるみつつ、タカナは自分の戦略が成ったことに武者震いします。
この状況を出現せしめたのは、彼女が頭を振り絞って考えた戦略と、味方との連携あってのこと。
中央広場に足を踏み入れる前に、リンドとファダに伝えていた言葉が、紫髪のローラーの少女をここに追いやったのです。

「高台の右側を守りきってほしい。わたしは左側を守る」
ただその一言が、二人が対峙するこの状況を作り出したのです。

(このヒト…強気なようだけど、すごく慎重な敵だ。リンドちゃんみたいなシューターと、正面切って一対一で闘うことはきっとしない)

それはファダと掛け合わせた一対二ならばなおさらのこと。
タカナは初心者ではありますが、Suckersの練習会で先輩たちの動きを観察する経験は豊富に積んでいましたから、仲間を見る感性はそれなりに身につけていました。
ここまでの闘いを見る限り、リンドが高台の右側を守り抜くという作戦は、きっと成就するだろうと思っていたのです。
もしもローラーの少女が右側の防衛をあきらめたならば…いまタカナが塗り固めている場所、すなわち高台の左側に現れるほかありません。
タカナは目を皿のようにして、高台やその背後の足場から、少女が降りてくるのを待ち構えていたのです。

そこには、この一戦の勝敗を超えた、彼女の「やりたいこと」が裏側に隠れていました。
まっさらな低所で対峙した、シューターとローラー。
この状況の意味を解する者は、戦場の外にいました。

「おいおい、ラスト20秒でなんて状況が生まれんだよ…!」

この光景を目の前にし、戦場と外界を隔てるフェンスにしがみつき興奮した声を上げるのは、Suckersのツルギです。

「シューターを手にしての、ローラーとの1on1。お前がバトル前に教えた通りの状況だな」
「うわっ!本当だ!とうとうあのレクチャーが役に立つ時が来たんですね!?」
「この状況にあって、タカナは先輩の教えを信じきっているだろう。教えが役に立たねば贖罪は免れまいな…」
「ちょ、ケビンさん、何プレッシャーかけてんすか…」

後輩の正念場に息を呑みつつ、Suckersはこの状況の意味を解するものとして、ひとりでに盛り上がりを見せています。
その中にあってただ一人、だまって戦況を見つめるミツは、いま出現したこの状況ではなく…数秒前にあった、中央広場に彼女が降り立つ前のシーンを思い返していました。

(…みんな、気付いてるのかな。あのコが広場に降り立つ前、オレンジチームの仲間と話をしてたこと)

タカナが中央広場に降り立つ前。二言三言、チームメンバーと言葉を交わしているところを、ミツはよく覚えていました。
直後にローラーを持ったメンバーが高台の右側に突進し、それをヘッドホンを着けたシューターが追いかける。
タカナは二人とは別行動を取り、高台の左側を塗り進むことを選びました。
その選択が、いまローラーと1対1で対峙する、この状況を作り出す最初の一歩になったのです。

(あのコは、この状況を作り出すために、味方に声を掛けたんじゃないのかな。どうしても、わたし達から教わったことを試してみたくなったから)

タカナが持つ、Suckersの教えを尊重する気持ちはとても純粋なものです。
そして、それを活かすために考える力も、実践する身体能力も持っていることは、今までの闘いぶりからも分かることでした。
それを踏まえれば、ミツの仮説はあながち間違いとはいえません。
もしそれが真実だとしたら。

(実はタカナちゃん…とんでもない才能を持ってる?末恐ろしいくらいの)

ミツは大きな期待感と、とても価値あるものを手にしたことによる寒気に似た感覚を覚え、ゴクリとつばを飲みました。
まだバトルを数戦しか経験しない初心者がたった3分の間にチームメイトと信頼を築き、まして仲間を使い戦況をコントロールするなど、彼女の長いナワバリバトルの知見の中でも、覚えのないことです。
目の前に立つ敵を倒す戦闘力とも、潮目を見極め適切な判断を下す思考力とも異なる、第3の方向性に長けた力を持っているとするならば…
タカナのその力は、チームスポーツであるナワバリバトルにおいてこそ、いつか絶大な力を発揮するようになるかもしれません。

だからこそ、ここからの戦いぶりがどんなものになるかが、タカナとSuckersの未来を占うものになるかもしれない。
そう考えたミツは、まばたきを我慢して、一時も逃さずにここからの駆け引きを脳裏に刻むと決めました。
単なる「世話好き」の域を超えたかたちで、彼女のこれからを見つめる助けにするために。


(…まずは、足場の確保っ)

睨み合いの時間が過ぎると、ローラーの少女は紫のインクへ潜り、タカナの目から自分の姿を消していました。
その状況でタカナがまず最優先に考えたことは、ダッシュジャンプからの奇襲を受けないこと。
練習会で仕込まれた知識を引き出すことで、身の安全を守る方法を考えだします。

(ローラーが一撃必殺の攻撃を出来る射程は、およそ3.5イカートブ。わたしが持ってるスプラシューターのインクの射程とほぼ同じ)

1イカートブとは、カンブリアームズ裏手の射撃場に引かれている白線の間隔と同じ距離のこと。
イカがヒトの姿で飛ぶことの出来る距離とほぼ同じことから、この名が付きました。
3.5イカートブほどの半径を持つオレンジ色のナワバリを、タカナは自分の周囲に確実に保ったまま前進していきます。

(しかも、2イカートブ以上の距離はダッシュジャンプで姿を晒さないといけない。ちゃんと敵のナワバリをよく見て用心していれば、喰らうことはない)

タカナはもしも敵が自分に向けてジャンプしてきたならば、すぐさま背後のインクを使って後退するつもりでした。
そうすれば、一撃でやられる危険性はなくなります。
敵が不用意に攻撃をしてきたならば、そこに素早く照準を合わせて倒せばいいだけのこと。
最も基本的なローラー対策を、タカナは既に身につけていました。

じりじりと、高台の左側はオレンジチーム優勢の状態に塗り変わっていきます。
進めど進めど、ローラーの少女は姿を現しませんでした。

(あのヒト、全然出てこない…小刻みに塗り返すよりも、わたしを倒して一気に紫に塗り替えるつもりなんだ)

このとき、精一杯に身の安全を確保するタカナの頭から、抜け落ちていた事実が三つ。
一つ目は、ローラーの少女は既に付近におらず、死角から別の場所へと逃げたという可能性。
しかしこれは、相手もタカナの存在に執着しており、彼女からキルを取ることに拘っていたことから、考慮の必要性は失していました。
二つ目は、高台の上などから攻撃してくるかもしれない、他の敵に対して注意を払うということ。
そして三つ目が…いまタカナの身を脅かしている、ローラーの少女が持つ「地の利」について。

(あらあら、不用心に居場所を晒しちまって…。あと3歩進めば、射程内ってとこだな)

タカナの前から姿を消したローラーの少女が、センプク場所に選んだポジション。
そこは、タカナに飛び掛かり攻撃するのに十分な近さを持ち…かつ、メインウェポンを使った索敵にはかからないという絶好のスポットでした。
その場所の存在を知らないタカナは、十分な注意を払うことのないまま、その姿を晒して敵のテリトリーへと足を踏み入れようとしていました。

それは、タカナが今いる中央広場の低所からハーフパイプを一つ登ったところにある、バンカーの物陰だったのです。
彼女がその場所を選んだ理由もまた、三つ。
一つ目は、助走する姿を見られないことから、奇襲に適した位置であること。
二つ目は、バンカーの死角であるゆえに、意図しない流れ弾によって居場所を暴かれてしまう可能性が極めて低いこと。
三つ目は…ハーフパイプ一つ分だけ高い位置にあることから、スプラシューターの射程外から、一撃必殺の攻撃を繰り出せるということでした。
このとき、バトルの経験が豊富なナワバリストであれば、彼女の潜む場所からの奇襲を恐れ、クイックボムを使うことでバンカーの周辺をクリアリングしたかもしれません。
ところが、Bバスパークの地理に疎いタカナは、その場所が持つ危険性を知らず、自分と同じ高さの低所を重点的にクリアリングしていました。

(結局、経験の差が物を言うってことだな…。今後の糧になるように、痛~い一撃をお見舞いしてやろう。ククッ)

ローラーの少女の視界は、タカナの姿は見えないものの、オレンジのインクが地面を濡らすところをしっかりと映し出しています。
彼女は、すぐ右手に立つバンカーによって遮られた視野から、タカナの構えるスプラシューターの射出口が見えた瞬間に飛び掛かろうと決めていました。
右手から近づく足音を頼りに、タイミングを計ります。

(あと2歩、1歩…今だッ!)
「いやッ!?」

ダッシュジャンプからローラーを振りかぶった瞬間、タカナは小さな悲鳴を上げました。
ローラーの少女は最初、自分が飛び出してきたことに気付き、怖気づいたのかと思いました。
ところが、その光景にはおかしな点があったのです。
彼女は自分のほうを向いてはおらず、銃口を向けたまっすぐ前を見据えていました。
直後、チャプンという音を立てて、標的はその身を引いてしまいます。

「なっ…!?」

既に地面を離れていたローラーの少女の身体は止まることが出来ず、さっきまでタカナが居た場所へと飛び掛かるほかありません。
丸太を振り下ろして足場を塗りつぶすも、命中の手ごたえはありませんでした。
右を見れば、自分が飛び出してきたことに対し、あっけに取られたようなタカナの顔が。
そして、タカナの視線につられて左を見たとき…ローラーの少女は、タカナを逃がしたものの正体が分かりました。
釣り針にかかる寸前の魚に石つぶてを投げ込み、無用に警戒せしめた無粋な輩の正体が。

「チッ、また一発喰らわすだけになっちまった…今日は調子悪ィのか?」

それは紫チームのジェットスイーパー使い、リャハンの仕業だったのです。
彼はこの低所に足を踏み込み、慎重に塗り進むタカナを目掛けて、シューター最長射程を誇るメインウェポンの弾を撃ち込んだのでした。
飛距離を見誤り、タカナの足元をわずかに濡らすだけに留まった弾でしたが、彼女の警戒心を呼び起こし…後退せしめるには十分な接触でした。
それは本来、必ずしも悪いことではありません。
敵を後退させれば、自陣のナワバリをその分拡大することが出来るのですから。
実際、ジェットスイーパーは敵のけん制も仕事ですから、足元を濡らすだけの攻撃も時には有用です。

不運だったのは、リャハンの攻撃が、ローラーの少女が狙っていた奇襲とちょうど折り重なってしまったこと。
その結果、ローラーの少女は愛用している隠れ場所を、無償で敵に晒すことになってしまったのです。

(…余計なことをッ…!!)

ローラーの少女は、もう同じ手段は使えない、と思いました。
事実、先ほどタカナがジェットスイーパーの襲撃から逃れたとき。
インクの中を泳いで逃げながらも、ジェットスイーパーを持った敵を警戒し、敵陣側に視線を向けて泳いでいました。
その最中、彼女の視野には、バンカーの陰から飛び掛かるローラーの少女の姿がはっきりと映ったのです。

(あ…あんな場所に隠れてたんだ。全然分からなかった…!)

タカナは肝を冷やしました。
万全を期したつもりの行進が、いつの間にか敵の標的となっていたのですから。
眼前に晒されたローラーの少女の姿がスッと消えて、波立つインクがまたクォーターパイプの上へと向かうのが見えました。
そして、もう一人の脅威はというと。

「ヘイ!そこのスイーパー野郎」
「何!?」

挑発めいたパフォーマンスで高台の上からリャハンに呼びかけるのは、オレンジチームのファダ少年。
リャハンは先ほど高台の上でやられたときに聞いた憎き声がしたものですから、瞬時にそちらに意識を向けました。

「喜べ!オレからキルを取るチャンスをやるぜ」
「…オイオイ。いくらなんでも舐められすぎだなァ…!てめぇ、さっきの一撃は痛かったぜ!」

大柄な銃身をすかさず高台の上に向けて、リャハンは銃弾をお見舞いしました。
長射程の弾が高台上に届くと見るや、ファダは素早く高台を降り、敵陣に向かって右側の低所へと降り立ちます。
リャハンは彼に従うように、タカナのいる側からコンクリートの壁を乗り越えて、反対側の広場へと侵攻する動きを見せました。
タカナから見れば、敵が眼前から一人、排除された格好になります。

(ファダさん…!まださっきの戦略に拘ってくれてるんだ)

ファダは、タカナ一人で守っている中央広場の左側に敵が二人なだれ込むのは危険と見て、そのうち一人を強引に、自分たちの守る右側へと誘導したのでした。

タカナはジェットスイーパーが睨みを利かせていたことから、ローラーの少女が逃げるのを追撃することが出来ませんでした。
彼女の現在地は、敵陣に向かって左側の低所、クォーターパイプを登ったバンカーのある場所から奇襲を受けることはない安全地帯です。
そこにセンプクしながら、残り10秒ほどの攻防で、自分がすべき行動を、冷静に見つめなおします。

(さっき、ローラーの女のヒトに狙われて分かった。やっぱりわたしは知識が無さ過ぎる…)

平地での戦い方は、十分身につけてバトルに臨んだはずでした。
ところが、実戦の場は起伏あり、障害物ありの複雑なステージ。
ごく単純なセオリーを覆すような手段は、経験豊富なナワバリストであるほどたくさん持ち合わせているのです。

(わたしが無い頭で考えても、絶対安全に塗り進む方法なんて思いつかない。それならっ)

タカナが最後に縋り付いた教えは、このバトルに臨む直前に教わった…もっとも「若い」知識でした。

「基本的に、センプクしている相手をローラーが正面から単独で倒すすべはない」
ナワバリバトルは敵より多くのナワバリを確保できれば勝ちである。故に現状が有利な場合、無理して攻め込む必要は無いのだよ」
(ツルギさんから教わった方法だ。わたしはローラーの敵が塗ることが出来ないよう、状況を硬直させればそれでいい)

タカナが選んだのは、やや有利な現状を保ったまま、残りの10秒をやり過ごすという方法。
クォーターパイプ上付近のどこかに居るはずのローラーの少女が姿を現さなければ、彼女も地面を塗ることは出来ません。
姿を現して地面を塗り始めたならば、敵の攻撃が届かない範囲から、塗られた地面をまた塗り返してやればいいのです。
お互い睨み合ったまま時間を消化できれば、オレンジチームの仲間たちの働き次第で勝利がもたらされるはずです。

(わたしみたいな弱いナワバリストでも、五分を保てるんだ。きっとこの戦略が一番確率がいいはず)

事実、ローラーの少女は変わらずタカナからキルを取ることを狙っていましたから、彼女がなかなかインクから飛び出さないことに痺れを切らしていました。
タカナが今すべきは、ローラーの少女を見張りつつ、インク中でマップを読み戦局を確認すること。
彼女はインクの中で息を潜め、状況が大きく動かないことを祈りながらマップを凝視します。
ところが。

(えっ…えっ!?)

高台の向こう…敵陣に向かって右側の広場の戦局がおかしいのです。
ジェットスイーパー使いを呼び込んだファダがやられ、さらにリンドまでもやられたことを示す×印が、立て続けに付きました。

(えぇ~~っ!?)

残り7秒で訪れた、突然の2対4の状況。
自分とローラーの少女が睨み合っていたならば1対3ということになりますから、敵は自チームの3倍の早さで塗り進むことになります。
いま、微妙なバランスで保っていたオレンジチームの優位を、ひっくり返すには十分な戦力差といえそうでした。

「げっ!オレンジチームの味方、立て続けに2人やられちまったぜ!?」
「うわぁ…!これ、自陣側のハーフパイプにしぶとく残ってた敵に、裏取られったぽいね…」
「…まぁ、撃ち合いは水物だからな。実力の高い奴でも、あっさりやられることもある」
「で、でも!このままじゃヤバくないッスか!?」

守り手の居なくなった高台の右側は、みるみるうちに紫のインクで塗り返されていきます。
3人がかりの塗り速度は、タカナの胸にすっぱいものをこみ上げさせるには十分な圧力がありました。

(や、やばい…やばいッ!わたしも塗らなきゃ…!)

泡を食ったタカナは、急ぎインクから飛び出しました。
塗るべきと判断した場所は、先ほどローラーの少女の奇襲を受けた、ハーフパイプ上の微高地。
射程において勝る敵の攻撃を想定し、クイックボムとメインウェポンを組み合わせてその場所を塗っていきます。

(来たぜ来たぜ…!あのガキ、とうとう姿を見せたな!)

タカナが最初のボムを投げつけた瞬間、その姿を見つけたローラーの少女は、喜びに浮き立ちました。
味方が思いがけず連続キルを取ってくれたことが、彼女にとって僥倖であったことは言うまでもありません。
彼女はいま、タカナが知らぬであろうと踏んだ新たな場所から、奇襲のチャンスを伺っていたのです。

タカナは1発のボムと数発のインク弾によってバンカーの付近を俄かに塗ると、すぐさまインクに潜りこんで立ち位置を変えます。
ローラーの少女の攻撃を警戒している風でしたが…いま彼女が潜む場所はノーマークらしく、視線をやるそぶりすらありません。
2度目に姿を見せたときが、彼女の最期となるはずでした。

ところが、周りに敵も味方も居ないこの状況でなお、タカナに味方する者は残っていたのです。
ステージ外にいるケビンは、その存在に一人感づいていました。

(タカナよ…忘れてはならない。たとえ一人で闘っているにせよ、ナワバリバトルはチームスポーツだということを)

この絶体絶命のタイミングでこそ、到来する援護の存在。
それはケビン自らが前線で立ち回る中、幾度と無く近距離戦の助けとしてきたものでした。
彼はタカナの立ち位置を離れた…高台の向こう側に兆しを見ていました。
ただ一人残った仲間、そのオレンジの頭髪が、このバトルで最後のチャンスをもたらすべく力を漲らせていたのを、彼は見逃さなかったのです。

「いけェ!」

促すケビンの声とともに鳴り響いたのは、ピピン、という電子音。
タカナの身体から知覚の糸が張られました。
3本の糸は、敵が侵攻する高台の向こうに。
残りの1本は…タカナのいる中央広場の右手を高みから見晴らす、見張り台の上へと伸びていきました。
その先には、少女が上段にローラーを振りかぶり、今まさに飛び掛からんとしている姿が。

「「あ…」」

タカナと、ローラーの少女。
二人の目が合い、声が重なります。

(あんな場所があったなんて…!)
(あのN-ZAPの野郎っ…!なんてタイミングでスーパーセンサーを…!)

タカナは素早く、スプラシューターの銃口を見張り台の上へと向けました。
そして、これまで徹底的にタカナの一枚上を行ってきたローラーの少女ですが、格下相手の戦法はもはや残されていませんでした。
味方の援護が、二人を丸裸の闘いへと導いたのです。

「くそったれぇッ…!」

ローラーの少女はこのバトルで初めて、結果の予測出来ない撃ち合いに足を踏み入れざるを得なくなりました。
少しでも被弾の可能性を下げるよう、必死で空中で身体をねじり、タカナの射線から逃れようと歯を食いしばります。
その動きを冷静な瞳で見つめるタカナは、シューターの闘争本能を呼び覚まし、反撃の構えを見せました。

(撃つッ…!)

もう策も地の利も関係はありません。自らの銃撃の成否が、すべて。
彼女がすべきは、狙いをコントロールする左手に全神経を集中させ、少女の身体を何としても撃ち抜くことです。

(反動は右手のブレーキにまっすぐかかるように。常に敵を身体の正面に見据えて、ブキだけを動かすことはしない…)

ガチン、とトリガーを引く固い感触とともに、インク弾が少女に飛び掛かります。
はじめのインク弾が、飛び掛かるローラーの少女の右足を打ち抜いた感覚がありました。
ビシッという皮膚を打ち付ける音に、少女は顔を歪めます。

(敵の動きにピッタリ付けるようにエイムを合わせる…!)

タカナはトリガーを引いたまま、2発目、3発目の銃弾が放たれるのを見送りました。
今の彼女に、ローラーをぶつけられる恐怖はありません。
ローラーの少女の動きに合わせて弧を描いたシューターは、後続の2発目の弾を少女の腿にぶつけました。
そして最後の弾は、ブローチの下がった胸に。

「がぁっ…!」

最後の弾は少女の身体の表皮を突き抜けて、体中にインクを運ぶ管へと作用し、紫色をした彼女の命の源が、急激にその色を変える反応をはじめました。
続いてやって来たのは、身体が解ける感覚。
スプラローラーコラボを握り締める力を失い、憎らしい少女を打ち据えるべく手にした凶器は、目的を達することなく重力の虜になります。
着弾した胸から身体が弾け、彼女の身体は地面に降り立つ術を失い、少しずつ地上から離れていきました。

「ぶわ…!」

ローラーの少女のオレンジ色に変えられた体液が、タカナの頭上から降り注ぎます。
それはまるで、初めて取った宿敵からのキルを祝福するように。
タカナの召すバイザーメットとレイニーブルーのTシャツはオレンジ色へと塗り替えられ、暖色に輝く雫を滴らせました。

「おおぉ~っ!!」

その瞬間、ステージ外で二人の駆け引きを固唾を呑んで見守っていたSuckersの面々は、ワッと声を上げました。
それぞれの両の手のひらをパチンと突き合わせてタカナの勝利を祝福し、ミツの指導ノートはいま起こった駆け引きの詳細の走り書きでみるみるうちに満たされていきます。

(や…やった…!)

そして、ようやくローラーの少女からキルを取った当の本人は、難局を制した達成感で胸をいっぱいにしていました。
ほんの一瞬だけ、バトルへの集中から意識を手離して、初めて手にした勝利の実感に浸ります。
返り血…ならぬ、オレンジの返りインクがべっとりと付いた顔は、目にインクが入るのを嫌ってか、はたまた涙が出そうになるのをこらえてか、固く目を瞑っていました。
そして、彼女を我に返らせたものは。

「お前らのォ、好きにはさせない!このボムを喰らいなっ!」
「!」

オレンジチームのアンジ少年の声です。

(そうか、このスーパーセンサーは自分のために使ったものだったんだ…わたしもものすごく助かったケド)

タカナは最後の数秒間、自分に出来る唯一の仕事をしなければなりませんでした。
それは、目の前にある紫のインクを、少しでも多くオレンジで塗り返すこと。
目の前のクォーターパイプ上を塗るうち、4、3、2とカウントは進んでいきます。
Suckersの面々は一つしかない貸し出しのマップをこぞって見つめて、どちらのチームが優勢かに注目しています。
そしてとうとう、上昇するギターフレーズが3度目の頂点に達するとき…イヤホンからバトルの終了を告げる笛の音が鳴り響きました。

ステージに残る選手はみなピタリと動きを止め、先ほどまで射撃と爆発の音が響き渡っていたコンクリートの広場が、急にシンと静まり返ります。

バトルの勝敗を判定する審判を迎えるとき、いつもこのような静寂が訪れるのです。

「に゙っ!」

ヤシの木の上で丸くなり戦局を見つめていた生き物が、ステージ中央の高台へと躍り出ます。
彼は「ジャッジくん」。ステージの広さから極めて勝敗の判定が難しいこの競技において、類まれな図形認識力と計算能力を元に厳密な判定を下すことの出来る、唯一のイキモノです。
立派な体躯に似合わず機敏な動きを持つ彼は、イカ以外の生物には登ることが難しい高台の上へと、ヒラリと宙返りして降り立ちました。
戦いを終えた8人と、観客たちの視線が自分に集まっていることを確認すると、足元に一対の旗を置きます。
それぞれのチームの色を印した旗は、バトルの勝者を告げるための道具でした。

「ヤバいな…最後に倒されちまった影響で、中央が塗り返されちまってる」
「あの.96ガロンの奴…!スプリンクラーに裏取りに、卑怯千万だわっ」

オレンジチーム側の復活ポットには、最後に倒されてしまったことを悔やむファダとリンドが。

「自陣のハーフパイプを死守したはいいが…最後の味方の働きが微妙だねぇ。まぁ、俺も自慢できるような活躍はしてないが」

オレンジチーム側のハーフパイプ出口には、最後に生成したスプラッシュボムを投げ損ね、手のひらの上で遊ばせているアンジが。

「中央は私たちがやや優勢。だけど自陣側がところどころ塗られているわね…」
「うむ。俺が敵陣側のハーフパイプに設置したスプリンクラーも、壊されてしまったようだ」
「ペナルティのせいで、ファイナルクリスタルダストは決められなかった…すまねぇ」

中央広場には、最終局面でポイントを荒稼ぎした、紫チームのシューターたちが。

(お願い…勝たせてっ)

紫チーム側のハーフパイプには、この静寂にまだ慣れきっておらず、自らの心臓の鼓動にざわつくタカナが。

(ちきしょう…勝負を決める最後の数秒間、何も出来ないなんて…!)

そしてただ一人、身体を失って上空から判定を見下ろすのは、紫チームのローラーの少女でした。

「頼むぜ、ジャッジくん…」
「きっと最後のキルがものを言うッス…!」
「だといいがな」
「う~ん…見れば見るほど微妙なマップだよ…?」

Suckersはステージ外から、オレンジチームの勝利を願う言葉を口にします。
彼らの言葉がジャッジくんの判定に影響することは決してありませんが、タカナが最後に見せた奮闘が報われるはずと信じていました。

そしていよいよ、判定の時が来ました。
ジャッジくんは丸い腰と矢印型のかぎ尻尾を振り振り、高所から見た全てのインクの図形を足し合わせて、オレンジと紫のどちらがより多くのナワバリを獲得したか、頭の中で測ります。
全ての計算が終わったとき、黄色の細い眼がキラリと光ります。
彼の右手に掲げられ、告げられた勝利の色は…。

「わぁーーーっ!!」

ステージに響き渡るひときわ大きな叫び声を上げたのは、はじめての勝利を手にした少女。
口元を押さえ、目を見開き、ジャッジくんの掲げた旗を見据えています。
掲げられた旗は、鮮やかなオレンジに染め上げられていました。

「やりィっ!ローラー対決、制したりっ」
「あぁ、危なかったァ…」
「おおっ、守りきったか!」

それぞれの反応と共に歓喜の声を上げたのは、タカナとオレンジチームの仲間たちです。

手をバンザイにして叫んだタカナは、やった、やったと飛び跳ね、周りの目も気にせずオレンジのインクの上を駆け回り、この3分の厳しい戦いが報われたことに心底喜びました。
そして、ハッとしたような表情を見せたかと思えば、すぐさまあたりをキョロキョロと見回し始めます。

「みなさん!どこですか!?」
「ここだよ、タカナちゃん!」

探していたのは、ステージ外から観戦していたはずのSuckersの仲間たち。
コンクリートの壁越しに5人の顔が並んでいるのを見て、タカナはパァッと表情を明るくしました。
タカナは今日初めて手にした勝利を共に喜ぶなら、まずお世話になっているチームの人間と決めていたのです。
オレンジと紫でまだらになったステージを思うままにオレンジに塗り替えながら、仲間の下へと駆けつけます。

「皆さん!やりましたっ!皆さんのおかげですっ」
「おめでとう!たしかに、わたし達が教えたことをたくさん役立ててくれたね。でも、直接助けたのはわたし達じゃないから」

ミツは、オレンジチームの自陣へとつながるハーフパイプのほうを見るよう指で促します。
3分の死線を共にした仲間が二人、タカナの下にやって来るところでした。

「ファダさん!リンドちゃん!」
「嬢ちゃん、よくやってくれたぜ!」

ファダはタカナの手のひらを思い切り叩きつけて、勝利の喜びを共有しました。
ローラーを振り続けて固くなった手はパァンという心地よい音を立てて、じーんという感触がタカナの手のひらに残ります。

「タカナちゃんっ!」

そして、リンドは女子の特権とばかりに、遠慮もなしにタカナの身体に抱きつきます。
タカナは内心、大いに驚きましたが、人懐こいリンドの顔に合わせて、すぐ表情をほころばせました。
背中をぽんぽんと叩かれたのにつられて、リンドの背中におずおずと腕を回します。

「もー、大活躍じゃないっ!タカナちゃんのお陰だよ~」
「え…えへへ…」
「確かに、危なっかしいところもあったが、2キル2デスだ。立派な戦績じゃないか」
「?」

後ろから声がしたのに気が付いて、タカナは視線をやりました。

「あっ、N-ZAPのお兄さん!?いつからそこに…?」
「アンジと呼んでくれ。ずっとここに居たが、お連れさんと話したいようだったから邪魔かと思ってセンプクしてたんだ」
「ご、ゴメンナサイ」

アンジはコンクリートの壁の向こうに並んだ、5つの見知らぬ顔を順に見つめます。
真ん中にいたミツが愛想よく笑って、手を振りました。
リューカは軽く会釈をし、ツルギはバツが悪そうに視線を背け、人見知りのガッツは大きな身体をコンクリートの壁に隠します。

「合点がいったな…。そのランクで随分クレバーな戦い方をするのは、指導者がいたからって訳だね」
「そ、そうなんです。チームの先輩方で」
「えっ!タカナちゃん、もうチームに入ってるの!?」
「は、はい」
「そうかぁ…」

タカナに抱きついて手放しに勝利を喜んでいたリンドは、突然我に返ったようにタカナと相対しました。
少し残念そうな表情をしていることがタカナには不可解でしたが、その意味を捉えることは出来ませんでした。

(…バトルが終わったら、うちのチームに誘おうと思ってたのにな)

「アンジ氏」
「ん」

はしゃぐSuckersの中で唯一沈黙を守っていたケビンが、アンジに声を掛けました。

「ケビンと言う。最後のスーパーセンサーはまさに千載一遇の機会をくれた。あの助け無くしては、勝利は無かっただろう」
「ほう、そうだったのか。それはN-ZAP85冥利に尽きるな」
「感謝する。…ただ勝利のためだけでなく、意味深い助けだった」

バトルが始まる前。
オレンジチームにN-ZAP85使いがいることを見つけたケビンは、試合の流れによってはそのことがタカナの助けになるかもしれないと直感していました。
ローラーに対する戦略を身に付けたタカナがどこまで戦えるかという勝負において、敵の居場所を暴くスーパーセンサーが援護に回ることは、地理に疎いタカナにこそ必要になると考えたのです。
ローラーの少女との最後の駆け引きにおいて、ケビンがスーパーセンサーの発動準備をいち早く見つけることが出来たのは、初めから彼のサポートを当てにしていたからだったのです。
それは、ケビン自身が初心者の頃から、スーパーセンサーによる援護に幾度と無く助けられてきたから。
その度に彼は、ナワバリバトルにおける仲間の重要性を痛感してきたのです。

(これでタカナは忘れまい…。どんな状況であれ、バトルは一人で闘うものではないと)

自分自身に覚えのある、孤立した中で闘うような感覚。
それをタカナには感じさせたくないと、ケビンは密かに思っていたようです。

「皆さん、よかったら…」

ミツはポケットから小さなピンク色のカメラを取り出しました。
顔のそばに掲げて、ニッコリと微笑みます。

「お、記念撮影!折角だしお願いしようか」
「わぁ、うれしいです!一人で参戦したナワバリバトルで、初めて勝てたから…」
「じゃあ、おそろいのスプラシューターが真ん中ですね。ボーイ二人は、両端に寄ってもらいましょう」

ミツは手馴れたカメラマンのように誘導して、4人をフレームの中に収めていきます。
仲良しの姉妹のように写るリンドとタカナ、ローラーを担いでバッチリ決めポーズを取るファダと、N-ZAP85を胸の前に構えるアンジ、そしてBバスパークを象徴する高台が一つの絵になりました。
いきますよー、とミツの声が響きます。

「はい、チーズ」
「に゙っ」
「きゃあ!?」
「あっ」

パシャリ、と音を立てて撮られた写真は。
オレンジのバイザーメットの上に馬乗りになり、タカナの両目を手で隠したジャッジ君が写りこんでいました。

「じゃ、ジャッジくん!?」

「に゙っ!(ついついイタズラ心を出してしまった。初勝利オメデトウ)」

「あらら…」

写真のできばえは、ふつうのチームが勝利後に撮る記念写真のような、クールにイカしたものではなく。
突然のハプニングに慌てふためくタカナと、ポーズを決める周りのギャップが可笑しなものとなりました。
ジャッジくんはそのままタカナの頭の上から飛び立つと、コンクリートのフェンスを飛び越え、どこかへ走り去ってしまいます。

「み、ミツさん!リテイクお願いしますっ」
「いや、これはこれで良いよ。タカナちゃんらしくて」
「え~~!でもでもっ」

その後、オレンジチームは勝利の余韻に浸ったまま、次のバトルが始まるまでの間、雑談に花を咲かせていました。
ナワバリバトルの公式アプリでフレンドとなった4人は、またどこかでの再戦を誓い、Bバスパークのメインステージを後にしたのです。
一方で、わずかな差で勝利を逃した、紫チームの面々はというと。

「くっそおぉ…打開があと一歩早かったら…!」

最終局面、ハーフパイプから中央広場に戻っての裏取りで2キルを取った.96ガロンのベンガー少年は、終盤で活躍しながらも結果が付いてこなかったことを悔しく思っていました。
悲痛な気持ちを分け合うのは、同じく敗者となったシャープマーカーのハレーと、ジェットスイーパーのリャハンです。

「私の責任が大きいわね…。ここぞと言うところで撃ち負けたり、キルを取れない場面が多かった。結局1キル止まりだもの」
「いや、姉さんは言う程悪くないさ。無駄死には殆ど無かったし、戦線を維持してくれたからな」
「そうだよ。アンタが取り逃したスシコラも、結局は俺のトルネードでやったが、半分はアンタの功績だろう」
「あぁ…あのトルネード。アナタだったのね」
「そういえば」

ベンガーは、唯一自分よりも上回るキル数を取ったチームメンバーが居ることに気付きました。
アプリの戦績確認画面で、4キル2デスの好成績を残しているスプラローラーコラボの少女。

「この子。…俺、一度も見てないんだが」
「あら、本当ね…時々ビーコンが置かれてるようだったけど、私もそれしか知らないわ。最後はやられて終わったみたい」

ベンガーとハレーは、少女がバトル後に現れたはずの、自チームの復活ポットに目をやりました。
そこには、誰も立っていませんでした。
次のバトルのためのセルフメンテナンスを行っている、寂しい動作音だけが響いています。

「…何処かに行っちゃったみたいね。あまり味方と話したがらないタイプかしら」
「勿体ないな。なぁ姉さん、この後ランチでもどうだい」
「あら、転んでもただでは起きないのね。…でもごめんなさい、この後カレと待ち合わせているの」
「おおう」

動転するベンガーをよそに、ハレーはハンドバッグからスマートフォンを取り出すと、ナワバリバトルの公式アプリの画面をベンガーに見せました。
サンバイザーで影の射した表情が、ニッコリと上品な笑みを作ります。

「フレンドになら、なってあげられるわ」
「そ、そうか。じゃあお言葉に甘えて」
「あ、アンタら!俺も仲間に入れてくれよな」

高台に腰掛けていたリャハンは二人と同じ高さまで降り立つと、3台のスマートフォンの輪を作りました。

また、何処かで会う日まで。
彼らもまたそう誓い、高台の傍でバトルを介した絆を繋ぎます。
白熱した勝負の後に残るものがあることは、胸を占める感情にやや違いはあるものの…勝利チームも敗北チームも、さして変わりは無いようです。


そして、暑く熱い一日はあっという間に過ぎ去り。
日がとっぷりと暮れ、ナイターの営業時間も終わりに差し掛かった頃。
Suckersはヘトヘトの身体を運んで最寄の駅へと向かっていました。

「あーー、楽しかった!Bバスパーク、サイッコーーですね!!」

スプラシューターを振り回して存分に闘ったタカナは、今日のバトルでまた思いを重ねたブキをケースに入れ肩からぶら下げて、晴れ晴れしい顔で6人の先頭を歩くのでした。

「ガッツさん、たくさんお付き合い頂いて、ありがとうございました。お陰でローラーのセンプク場所がよ~く分かりました」
「いやぁ…お安い御用ッス…」

木製の大きな手作りローラーケースを背負い込むガッツは、タカナの後ろから元気よく返事をします。
ツルギがガッツの横にピッタリとつけて歩き、耳を貸すよう促しました。

「…なぁガッツ、ずっとタカナちゃんと同じバトルにいたようだが、彼女はどうだった?」
「実のところ、大変でしたよ…コッチのセンプク場所を覚えては、次戦からはその位置を絶対忘れないんですから…」
「なるほど。うかうかしてたら、先輩としての面子がヤベェってことだな」

先のバトルでタカナの実戦における吸収力と、成長スピードの早さを見て取った二人は、彼女に追い抜かれないための成長の必要性をひしひしと感じていました。
今もミツのそばについて、チャージャーの攻撃を無用に喰らわない方法、撃ち合いで有利を取るにはどうするかなど、バトルに関する様々な知識を吸収しているようです。

「ちなみにツルギくんはどうだったんですか?センパイたちと同じバトルッスよね」
「もう高台は見たくない」
「…分かります、その気持ち」

げんなりした表情で言うツルギの言葉は、ガッツにも覚えがありました。
高台に立ちリッター3Kを構えたリューカが、どの方向から攻めようとも敵陣へ通してくれないとき、そんな気持ちになるのです。

「あ…」

タカナが、ふと足を止めます。
スカーレットの夕空をバックに、立ちはだかる一人の少女がいました。
逆光で表情はよく見えませんが、スパッツを履いてやって来る多くのインクリングたちと異なる、丈の短いワンピースで作られたシルエットには見覚えがありました。
歩みを止めたSuckersに、ゆっくりと正面から近づいていく少女の顔が、ゆっくりと明らかになります。
マスカラでまつ毛を盛り上げ、端整にメーキャップされた、バトル参加者としては珍しい顔立ちです。

「お、おい。アイツは」
「そうッスよね!?…あの時の…」

少女は後ろに立つ少年たちの言葉には耳を貸さず、まっすぐタカナの前に歩み寄り、立ち止まりました。
背の高さからタカナを少し見下ろす格好になって、目がはっきりと合っても表情は固いままです。

「あ、あの…」

少女はタカナの言葉には答えず、ポーチからスマートフォンを取り出すと、何も言わずに画面を操作し始めます。
タカナの前にずいと差し出しました。
困惑する気持ちはありながらも、タカナは素直にスマートフォンを受け取り、画面を見ます。

「うわ!…すごい…!」

タカナが見たのは、その少女のものと思しき、本日の戦績データでした。
画面いっぱいにハタが立った様子の横に、「チョーシサイコー!」の文字と、12.0という数字が記されています。
チョーシと呼ばれるのは、その日の勝利と敗北によって増減する、ナワバリストの強さを表す指標。
彼女の12.0という数値は、参加者の上位10%には間違いなく入るはずの数字です。

「12.0って…!センパイたちよりも高い数字じゃないッスか」
「そりゃ、センパイたちは同じバトルに入って、強い者同士で潰し合ってる格好だからだろ」
「す、すごいね。こんな数字初めて見た」
「…お前は?」
「えっ。えーと…」

タカナは慌ててスマートフォンを取り出すと、少女の見せたものと同じ画面を差し出しました。
チョーシは3.5。辛うじて「チョーシいいね!」と判定されるギリギリのところでした。
少女は無表情のまま、かすかに頷くと、スマートフォンをつき返します。
タカナは慌ててそれを受け取りました。

「…最後、アタシがバンカーの死角から飛び掛かったとき」
「え」

少女はよく通る静かな声で、言いました。
二人の間にあった駆け引きを、思い出させるように。

「コッチの仲間が余計なことしたから、お前は逃げた。あれは偶然だった」
「う…うん。確かに」

少女は一つずつ、事務的な確認を取るように淡々と、タカナに言葉を投げかけます。

「アタシが見張り台にセンプクしてた時。スーパーセンサーが発動されたから、お前はアタシの居場所が分かった。あれも偶然だった」
「…」

タカナは、じっと少女の目を見つめて、言葉の続きに聞き入ります。
言われていることは事実。腹を立てるようなことではありません。
相手の言いたいことに耳を傾けるようにして、言葉の続きを待ちました。

「最終的にやられたが、偶然が重なっただけ。…それが分かってるならいい」

言いたいことを言い切って、少女は用を果たしたとばかりに踵を返します。
後姿が遠ざかって、彼女らと同じく帰路につこうとする者たちの、雑踏の中に吸い込まれていきます。
Suckersの面々はあっけに取られたようになって、何も言葉を発することがありませんでした。
今朝のバトルからこんなにも時間が経ったというのに、ただ2つの事柄だけを確認しに来た少女の行動は、彼らにはとても不可解なものだったからです。

ただ一人、バトルを通じて、彼女の心を覗いていた人間以外には。

「待ってよ!!」

聞いたことのないようなタカナの大声が、Suckersの者たちの耳に響きました。
そしてそれは、遠ざかろうとしていた少女の耳にも。
夕日に吸い寄せられるようにして遠ざかっていた足が、ふと動きを止めます。
バトルの時に見せていた激しさが鳴りを潜めて、いまは物憂げな目が、もう一度タカナのほうを向きました。

「どうして…そんな事をわざわざ言いに来たの?」
「…そりゃあ…お前が、アタシに実力で勝ったと思ってたらマズいからだよ。勘違いさせちゃいけないと思ったから」
「そうじゃないでしょっ!」

タカナがSuckersの輪から離れ、少女のもとへと駆け寄ります。
厄介ごとになると感じたリューカがタカナを留めようとしますが、ミツがそれを制止します。
少女は逃げるでもなく、走ってついてくるタカナを怪訝な目で見つめていました。


「キミは…わたしとの勝負に納得出来なかったんだ。力で捻じ伏せられる相手を、捻じ伏せられなかったから」
「はぁ?…お前、分かってると思うけど、アタシは金目当てでバトルしてるんだからな。勝つか負けるか、結果だけだ」
「もしそうなら、わたしがわたしの実力について、どう思おうとキミには関係ないじゃない!」
「なっ」
「そしたらさ…」

タカナがもう一度、スマートフォンを取り出します。
今度は戦績ではなく、別の画面を表示し、少女に差し出しました。

「また勝負すればいい。フレンドになろうよ。…ね、アリサちゃん?」
「なっ…!なななな…」

タカナが差し出したのは、ナワバリバトルの公式アプリ付属のフレンドリスト。
急に名前を呼ばれた少女は、不意を突かれた動揺から、大いに赤面します。

「なんでアタシの名前を…!名乗らないようにしてるのに」
「さっき戦績見せてもらったとき、左上に書いてあったよ?」
「げっ!…これかよっ…!」

普段、自分のスマートフォンの画面を人に見せないアリサは、思わぬところに情報の流出路があることに気付かず、タカナに手渡してしまったのでした。

「あはは。アリサちゃんて、ちょっとお茶目なところもあるんだ」
「な、名前を呼ぶなあっ…!あ、アタシはフレンドは作らない主義なんだよっ。弱い奴を狩る方が効率が良いに決まってるからだ!」
素直じゃない、とタカナは思いました。
わざわざ会いに来たくらいです。彼女は絶対に自分に興味があると、タカナは確信していました。
そして、そんな相手に興味を持ち返してしまうのが、彼女の性格であったのです。

「…それじゃあ、わたしには必勝出来る自信が無い、ってことでいいんだね?」
「こ、このハナタレめっ…!」

拳をわなわなと怒らせて、アリサは今にも殴り掛かりそうな形相になりました。
ところが、イカは道具もなしに殴り掛かることが出来ません。骨がないからです。
アリサは目を血走らせて、頭一つ分低いタカナの顔をにらみつけています。
タカナは少し怖いような心地になりましたが、勢いがついていたものですから、まるで余裕であるかのような笑みを見せることが出来ていました。
ふーっ、と、アリサは大きく息を吐きだして、平常心を取り戻します。

「…分かった。フレンドになってもいい」
「ホント!?」
「とはいえ、名ばかりだ。何を勘違いしたか知らないが…アタシのストレス解消の道具になってくれるってことだな。お前のことは本当に嫌いだから、全力でブン殴れそうだ」
「あ…それはちょっと怖いかも…」
「もう遅い」

アリサはナワバリバトルのアプリを起動すると、手早くフレンドリストの画面を開いて、秒速でタカナをフレンド登録してしまいました。
今まで空っぽだったリストに、「タカナ」の名が表示されます。アリサはそれをすぐに「サンドバッグちゃん」に上書きしていました。

「いいか、Bバスに来るときはメットを外すな!思いっきり殴れるようにな」
「そ、そういえばアリサちゃん、ローラーはどうしたの?」
「…この後、シゴトあるから。宅配便で送ったよ。それじゃな」

嵐のような時間が過ぎて、アリサは今度こそ雑踏の中に消えていきました。
二人のやり取りを遠巻きに聞いていたSuckersは、彼女が居なくなると急いでタカナの元に駆け寄ります。

「タカナちゃん…!驚いたよ。無茶なことするもんだね」
「あんな気性の激しそうな奴とフレンドになってどうするつもりだ?言っとくが、私は相手にしたくないぞ」
「だだだ、大丈夫かなぁ…?タカナちゃん、Bバスに来るたびにアザだらけになって帰ることになるんじゃあ」
「そ、それはそうかもしれないです」
「そうかもしれないのかよ~…!」

あまりにリスキーなフレンドの選択に、Suckersの面々は大いに心配し、思いのほか思慮が浅かったことに脱力しました。

「ミツさん!何で止めてあげなかったんですか!?」
「う、う~ん…。わたしとしては、タカナちゃんが自分で考えて動くのを、止めたくなかったんだよね」
「アレはダメだろ…絶対危ないって」
「で、でも大丈夫です!だって…」

如何にも危険人物という扱いを受けているアリサを擁護しようと、タカナは束の間ではありますが、彼女と1対1でやり取りをした記憶をさかのぼります。
そうしたところ、一つだけ、彼女の人格についてプラスと取れる材料があることに気が付きました。

「…次からもメットを付けてこい、って言ってたから。わたしがケガしないように。優しいところもあるんです、きっと」
(そ…それはどうなんだ…?)

ナワバリバトルは、この都会に住むあらゆるインクリングが集う、一期一会の戦い。
だからこそ、その中で生まれる人間模様には深みがあり、中には複雑怪奇なものも。
タカナとアリサの出会いが何をもたらすかは、これからつづられるインクの跡によって決まっていくのでしょう。

ところが、ケビンはただ一人、ふたりの関係性について一つの可能性を既に見つけていました。

(…嫌よ嫌よも好きのうち、か。至言だ)

もしもアリサが本当に悪い人間であったならば、その時は自分たちが守ればいいだけのこと。
しかし、そうではないような予感が、この時彼はしていたといいます。
それは、言葉にはできないにせよ、タカナも同じこと。
この日最後の縁を結び、Bバスパークの夜は更けていきました。

(FIN)