攻略情報はゲームを生かすのか、殺すのか 攻略本とWebの功罪

先人の立てた道標が体験を変質させる

今や、あらゆるゲームの攻略情報やデータベースがWebで手に入る時代になりました。

情報を提供・管理するファンの方々の努力には敬意を払わずにいられないものの、

一方で「容易に手に入る情報が、ゲームそのものの体験を損なうということは無いだろうか」と考えずにもいられません。

ゲームは閉じた世界です。

それゆえに、その中で手に入る情報だけでプレイヤーが目標に立ち向かったとき、いちばん魅力的になるよう設計されているはずです。

ゲーム専用機を離れて、PCやスマホから攻略情報を得ている時間は、作り手にとって制御不能な霧中の時間です。

潜在的には、そこでどんなに体験を損なうような情報が知れるかわかりません。

一方でファンのクリエイティブの一つの見なすことも出来ますから、ゲームの魅力をさらに引き出すような情報がそこで新たに創られる可能性も秘めています。

良くも悪くも、Web上の情報がゲームの体験を変質させ得る環境に、いまは誰もが属しています。

情報は毒にも薬にもなる

Web上で見つかるゲームの攻略情報は多岐に渡りますから、いくつか例示してみましょう。

  • アクションゲームのステージ一覧
  • 手ごわいボスについての情報
  • ミステリーゲームの犯人や真相
  • ダメージ計算式の解析情報

「ミステリーゲームの犯人や真相」ばっかりは、プレイ中の方にはどう考えても毒でしょうけれど、

ほかの情報についてははっきり断定できず、毒にも薬にもなるように思います。

では、それぞれの情報がどんなふうに受け手に作用するかを詳しく考察してみましょう。

アクションゲームのステージ一覧がもたらす効果

アクションゲームはゲーム独自の操作性を楽しむことだけでなく、変化する環境や景色、BGMといった要素も醍醐味です。

そして、ゲームの進行を切り分けるもっともポピュラーな単位は「ステージ」でしょう。ステージの設計方式はシリーズによって随分違います。

スーパーマリオシリーズでは平野・海辺・砂漠・空・溶岩地帯といったように、冒険の舞台(ワールド)を概ねジャンル分けできますが、

おなじみの表現の中で、いかに新規の遊びや驚きを生むかという点で勝負しています。

ロックマンシリーズでは各ステージの終点にボスが待ち受け、ボスの名前と姿はステージ選択時点でプレイヤーに告知されます。

エアーマンならエアーマン、エレキマンならエレキマンらしいステージの最奥にボスが位置するため、プレイヤーの挑戦意欲を駆り立てます。

モンスターハンターシリーズは、ステージ以上にクエストや大型モンスターといった要素が進行上重要ではありますが、

採取できるアイテムはおおむねステージで規定されますし、モンスターの生息状況もステージとおおまかに結びついています。

また、ヨッシーアイランドのように、ゲームによってはステージの一つ一つにタイトルが付いており、

どのようなステージかをプレイヤーに事前に知らせることもあります。

さて、一本のアクションゲームにどのようなステージが存在するかを一覧可能な形で知らせるのは、どのようにプレイヤーに作用するでしょう。

確実な効果

  • そのゲームの凡その長さがプレイヤーに知れてしまう(最後まで見た場合)

可能性のある効果

  • そのゲームを俯瞰し、記憶を整理することが出来る
  • 先のほうに興味を引くステージを見つけ、プレー意欲をかきたてる
  • ステージ情報自体にネタバレが含まれている(隠しルートの存在等)

「思い出補正」との関わり

わたし個人としては、「記憶の整理」という効果が意外と大きいのではないかなと思ってます。

目の前の関門をどうやって超えるかというのがアクションゲームの一番の醍醐味ですが、

同時にそのゲームの印象や世界観を形作るのは総体としてのステージの連なりだからです。

「パワーアップ要素がどのタイミングで手に入るか」とか、「どこで新しい仲間が増えるか」といった、プレイヤーの腕前と関係がない外的変化によって、

ゲームの体験は設計され、プレイヤーの頭の中に実体をなしていきます。

それを瞬間的に思い出すことの出来る絵図として、ステージの一覧というものが機能する可能性があります。

プレイした体験全体が一つかみに思い出せるかどうかで、ゲーム作品に対する評価は変わるでしょう。

ステージを整然とした順番で思い出せるかどうかは、アクションゲームに対していわゆる「思い出補正」がもたらされるかどうかにも関わってくるように思います。

ズラリと並んだステージの名前を眺めるのは、濃密な体験の標本を見ているようなものかもしれません。

手ごわいボスについての情報がもたらす効果

RPGやアクションゲームにおいて、ボスは強ければ強いほど存在感を放ちます。

特に、「第一形態」「第二形態」といった複数の形態があるボスキャラは花形といえます。

あるキャラクターに形態変化があるという事は、有名なゲームほど周知の事実になってしまうものだと思いますが、

そのようなキャラクターほど、カリスマ的な存在として認知されやすいことは確かでしょう。

手ごわいボスについての事前情報は、どんな効果をもたらすのでしょうか。

確実な効果

  • 強敵の出現による驚きとショックが薄れる

可能性のある効果

  • そのキャラに会う事自体がゲームのモチベーションになる
  • 次の形態を見ることがモチベーションになり、プレイ意欲をかきたてる
  • 事前にレベルを上げるなどの対策を得ることで、(不当に)難易度が下がる
  • 第一形態すら倒せない絶望感で、撃破をあきらめてしまう

ダメージ計算式の解析情報がもたらす効果

多くのゲームには「ダメージ」の概念があり、攻撃力から防御力を引くなどしてプレイヤー自身が計算可能なものと、算出式が不明なものがあります。

また、条件が同じなら固定値を返すものと、確率的に変動するものとがあります。

算出式が不明、すなわち一見分からないものに関しては、有志が計算を行いWebで公開されていることがあります。

このような情報を生かせるのはそもそもリテラシーが高いプレイヤーに限られますが、以下のような効果があるでしょう。

可能性のある効果

  • 勝敗を決める要因が明確になり、駆け引きの深みが増す
  • キャラクターの成長が結果に与えるインパクトを正確に評価できるようになる
  • 勘によって判断する小気味良さが失われたり、その情報を有さないプレイヤーが極端に不利になる

ゲームの「なかみ」が明らかになることは、より高度な戦略的駆け引きに繋がる可能性がある一方で、

プレイヤー間の極端な格差を生じさせれば、興ざめさせてしまう可能性もあります。

勿論、ダメージの解析情報というのは一例にすぎず、適宜読み替えて頂きたいところですが、

ゲームそのものを観察していても直接分からない情報が公開されることは、良いことばかりではないでしょう。

わたし自身の体験 - お気に入りだったスーパーマリオ64の攻略本

ここまではほとんどがWebで提供される攻略情報の話でしたが、最後にちょっとレトロな情報媒体として「攻略本」の話をしたいと思います。(今どきの子供は買うのかしら?)

子ども時代、わたしの家にはたくさんのゲーム攻略本がひしめいていました。

両親がゲーム文化に寛容だったこともあり、お小遣いでゲームをたくさん買ってもらえる恵まれた子供でしたが、

さらに贅沢なことに、ゲームと一緒に攻略本を与えてもらうことが常でした。

というのも、わたしが幼稚園生の時「星のカービィ 夢の泉の物語」の3面ボス(Mr.ブライト&シャイン)をどうしてもクリアーできず、

泣いて両親を困らせたという出来事が原因の一つかと思います。

たぶんそれ以来、わたしにゲームを買い与える際には、スムーズに進められるように配慮してくれたのでしょう。

読み物としての攻略本

攻略本は攻略のための道具であると同時に、ゲームを紙媒体に転写した最高に面白い読み物でもありました。

思えば、ゲームの中には「データベース」という構造がある事なども、小学生のわたしは攻略本を手に取って初めて理解したのです。 (それが、子どもの頃に紙に書いて作ったSRPGの設計を可能にしました。)

スーパーマリオ64の恐るべき攻略指南

攻略媒体としてもっとも活用されたのは、スーパーマリオ64の攻略本でした。

スーパーマリオ64はそれまでのスーパーマリオシリーズと違い、3D世界の中のどこかに存在するスターを探すゲームでした。

右に進んでいけばゴールが見つかるそれまでの2Dアクションのマリオと、決定的に構造が違います。

スーパーマリオ64の攻略本は、わたしの知る限り3冊発刊されていましたが、

その中の一冊に、その順番で取れ!とばかりに「登場する120枚のスターに通し番号を付けている」という恐るべき攻略本がありました。

マリオ64はスター(ゴール)がどこにあるか分からず、どの順番で入手しても構わないという自由性がウリのゲームにも関わらず、

わたしはその本の言う通り、自由をまったく放棄して、徹底的に攻略本の順番通りスターを取っていくことにこだわったのです。

その時のわたしにはそれが最高に楽しい遊び方であり、快感でした。

ある意味、自由を捨てることで、どちらに進むのが正解か分からない冒険としてのマリオ64を捨てて、

困難なジャンプアクションと変化していく世界が醍醐味の従来のマリオまで、自前で要素を削ぎ落としたという選択とも解釈できます。

それは、自由度がウリのゲームにおいて「スターの取り方をあらかじめ規定した」、恐るべき攻略本の存在が無くては出来ない遊び方でした。

この体験が、他のプレイヤーに比べて豊かなものだったかどうかは分かりません。

けれど、わたしの中でマリオ64は指折りにお気に入りのゲームですし、今でもスターの在りかを諳んじられるほど記憶に残ったゲームであることは確かです。

情報が遊びを変質させるという一例として、興味深いものと思って頂ければ幸いです。