オリジナルゲームを離れた二次創作にはどんな価値があるのか、自省してみた

ゲームの体験は他の何とも似ていない

Splatoonのように誰でも遊べて、しかも濃密な駆け引きが楽しめる名作が発売されたとき、

世界中のとても多くのユーザーがその遊びにのめり込み、Webには副次的な創作物がどっと溢れ出すことになります。

わたし自身はまずその世界観の中でじっくり遊びこむことに集中したいタイプなので、

発売前後の時期は、あまりたくさんのユーザーの活動を追いかけることはせずに、

プレイそのものとMiiverse、それと公式サイトや公式Twitterから発表される情報をキャッチする程度でした。

8月になって時間に余裕が出来ると、スケッチブックと鉛筆を買ってキャラクターの絵を描いたり、

以前に載せたようなショートストーリーを作ることで、世界観の掘り下げに挑むようになりました。

日課としてそれらに取り組み始めて2か月ほど経つと、だいぶ使えるタマも増えてきたので、

アルバイトで取り組んでいるWeb制作やSEOのノウハウを生かせる、ブログという形で情報公開を始めることを思い立ちました。

そうこうしている内に10月になり、アルバイトに加えて大学の正課の活動も始まります。

だんだんと取り組む対象が増えていくとともに、本来の核であるゲームプレイに割ける時間は捻出しないと得られないようになってきました。

週末、家事・課題・持ち帰り仕事などを片づけた後、2時間ほどの時間をSplatoonに充ててしみじみ感じたことですが、

やっぱりこのゲーム、心臓が高鳴って、汗が噴き出るくらいに面白いです。

世界中のプレイヤーと4VS4のオンライン対戦が出来ることがそうさせるのか、

インクで撃ち合うシューターとしてのゲームデザインとバランスが肝なのか、

ギアを選んで楽しむオシャレがポイントなのか、遊び場としてのステージが秀逸なせいなのか、

活きのいいバンドのイカした音楽のためか、やはりイカというプレイヤーキャラクターが決定的なのか、

勿論すべてが重なり合ってこそのSplatoonではありますが、どこかに拠り所を求めずにはおれません。

「上手くなりたい!」という気持ちはもちろん人並みにありますが、それと同程度以上に、

このゲームのことをもっとよく分かったり、人に伝えるという事にモチベーションを感じます。

その目的でこのブログの記事を書いたり、Splatoon用のTwitterアカウント(@TKTshooter)を作って皆さまと交流させて頂いておりますが、

こちらの活動に時間を割けば割くほど、ゲームそのものに時間を使えなくなるというジレンマがあると分かりました。(当たり前ですけれど)

ストーリーをつくる、絵を描く、音楽の分析をするという活動はそれ自体魅力的だとは思っていますが、

やっぱりゲームの体験そのものを代替できる訳はないし、元来そうあるべきでもないようです。

インクの奔流の中で、わたしに出来そうなことを

Webを通じて入ってくるSplatoon関連の情報量は本当に圧倒的です。

意識的にボリュームを絞っているわたしの下にさえ、魅力的なたくさんの創作物が届きます。

まだきちんと拝見したことは無いですが、pixiv等で「緑チームシリーズ」というSplatoonの二次創作漫画が流行っているようだったり、

日夜、キュートでカッコいいイカたちのイラスト、ムービー、パロディ等が投稿されていきます。

そんな中で、わたしに「だけ」出来ることなどありそうもないですが、

「まだ整理されていないらしい」情報だったり、ちょっと年齢が高いことをブキにニッチな視点で作り上げた創作で、

ちょっとずつでよいので、認知してくれている人を増やしたいなと思っています。

プレイでは表現できない表現を

二次創作やメディア運営で出来ることは、たぶんゲームプレイに比べると体験の純度は落ちるものの、

「こういうプレイヤーもいる」ということを世間の誰かに知らしめることかと思います。

一期一会でかつ、匿名のプレイヤー群のなかにも、ヘンな試みをし出す人間がいるということを、

知っていると知らないのとでは、ちょっぴりゲームという文化に対する期待度も違ってくるのではないでしょうか。

もちろん、自己満足や自己顕示といった要素が9割方というのは正しい認識ですが、

そんな中にも少し「ゲーム文化への貢献」という要素があったら素敵なことだなと思います。

自分で何かを作るの、大変だしねぇ。理由がなきゃ続かないですよん。

30本、記事を作り溜めた記念で、ちょっと自分の活動を振り返ってみたのでした。