プレイ時間は平準化すべきなのか?「土曜だけ7時間」と「1日1時間」を比べてみた

久しぶりに、ゲームに一日費やしたあとに思うこと

今日は大学の友人を家に招いて、一日ゲームしていました。

友人はゲーマーであると同時に、4starというゲーム音楽のオーケストラコンサートで演奏者として登壇したアマチュアホルン奏者でもあり、

しっかりした音楽的素地と経験のある方です。好みも近いのでとても楽しい。

もともとはTwitterで「Splatoonと、Splatune(同ゲームのOST)が気になる」という旨のツイートをしていたのを見かけて、

わたしから声をかけてセッティングした回でしたが、ふたを開けてみれば半分くらいは「タッチ!カービィ スーパーレインボー」を遊んでいたという始末になりました。

Splatoonも十分楽しみましたが、腕も頭も使うゲームで疲労が溜まりやすいですし、

基本は一台のWiiUで一人が遊ぶもの、しかもムキになればなるほど隣にいる友人の存在を忘れてしまいそうになるゲームでもあります。(個人差あり)

彼は色々なゲームを遊んできていますが、星のカービィシリーズもだいたい触れており、

Splatoonの小休止のためにタッチ!カービィを始めたところ、二人してこっちにのめり込んでしまいました。

3700円のゲームのため遊びのボリュームはさほどでなく、6~7時間あればクリアー出来るゲームではありますが、

本当に一日でクリアーしてしまうとは…。

ついさっき自宅の前で別れ、わたしは夜食を食べたあとこうしてブログを書いているという運びです。

一ゲーマーの内省を公開したい

今日の過ごし方に後悔はありませんが、「なぜ一日のうちの大きな時間を、ゲームに費やしてもよいのか?」という事を、この機に考えてもみたくなりました。

当然、予定のある日や平日にはこんな遊び方をする訳にはいきませんから、時間があった今日にこそ出来る遊び方です。

しかし、日々のタスクは組み替えられることを考慮すれば、今日という日にほかの作業を入れて、他の日にゲームする時間を取ったってよかったはず。

という事は、「ゲームする時間を平準化するより、今日という日に一極化することを選んだのはなぜなのか?」という問が本質だ。

その理由を、ちょっと真剣に考えてみます。

前置き:この考察の応用性と背景

このテーマ、すごく狭いようですが、実は色んなことに応用できる方法で書いていくつもりです。たとえば…

  • Aさんが毎日30分ジムに通うより、週末の1日だけゆっくりスポーツする日を作っているのはなぜか?
  • Bさんが通勤途中に毎日音楽を聴くより、月に1日だけ自宅であらゆるジャンルの音楽を聴く日を作るのはなぜか?
  • Cさんが女子会で職場についての愚痴を言う日と、言わない日とをキッパリ分けているのはなぜか?

そこで重要になるのは、「消費の平準化」という人間行動の傾向に反するということです。

これは、1日にケーキを2個食べるより、2日に分けて1個ずつ食べることが多い、という人間行動を説明する経済学の概念で、

「凸選好」や「効用関数の凹性」といったトピックに関連します。

わたしが突然こんな話を始めるのは読者の皆さまにとって思いもよらない出来事だと思いますが、今日のお話は実際に経済学との結びつきがあります。

基本的に一学生のたわごとに過ぎませんが、ちょっとでも面白いとか、参考になったとか、経済学が身近に感じたという事があればとても嬉しいです。

記事としてはちょっとだけ読みにくいかもしれませんが、なるべくわかりやすく述べますので、どうぞお付き合いください。

根拠1:ゲームを遊ぶには固定費用がかかる

固定費用とは、モノや満足を得るために支払う費用(お金や時間)の中で、得るものの量によらない部分を指します。

例えば、「近所のスーパーへ買い物」というタスクで言うならば、「行きと帰りにかかる時間」は買った商品の数に依りませんから、固定費用に当たります。

一方で、モノや満足を得れば得るほどかかるコスト(商品の代金など)は、可変費用と呼んで区別されます。

ここでは簡単のため、ゲームを遊ぶのは「満足」を得たいからだと考えましょう。

すると、可変費用固定費用を分けることができます。

費用 区別
プレイ時間 可変費用
ハード、ソフトの起動時間 固定費用
おやつの代金 可変費用 or 固定費用
友達の移動時間 固定費用
予定調整の手間 固定費用

けっこう、固定費用に分類されるものが多いですね。

「おやつの代金」は、ダラダラ食べながらゲームする場合は量がプレイ時間に比例するので限界費用、親御さんがしっかりと食べる量を管理している場合は固定費用になります。(後者の場合、お金は親御さんが出してくれるでしょうけれど。)

そして重要なことは、一般に「固定費用が大きな物事ほど、小出しにせず一気に消費したほうがよい」ということです。

経済学のモデルを組めば、ちゃんとその事を証明することも可能です。(やりませんけど)

「友達の移動時間」や「予定調整の手間」を例に取ると分かりやすいですね。2日に分けて、2回家に来てもらうよりも、1日たっぷり遊んで、1回だけ来てもらう方が行き帰りの時間、予定調整の時間が少なくて楽なのです。

わたしは今日、めずらしく友達を家に呼んでゲームしたため、たっぷり時間を使って遊びたくなったという訳ですね。

(なお、ここでの費用に「ハード・ソフトの購入費用」は含めませんでした。1プレイごとにかかる費用を固定費用と定義しているためです。)

根拠2:ゲーム体験は非分割財である

「非分割財」という言葉があります。「お米」などの一つ一つが小さいものは分け合うことが容易ですが、

「彫像」となると頭部と胴体に分けて二人で所有するわけにもいきません。彫像のようなものを非分割財と呼びます。

ゲーム好きのお子さんを持つ家庭などでありそうな出来事として、「ボス戦の最中にご飯に呼ばれて腹が立った」などという事がありますが、

これは「ボス戦」というものが、勝敗が決するまで最初から最後までやり切りたいものであり、その途中に中断が入ることで嫌な気分になると言う体験の性質によっています。

これが「レベル上げ」の最中だったら、そこまで嫌な気分にならないかもしれません。これはレベル上げが小分けにしても楽しめる「分割財」だからですね。

今日のわたしの例でいえば、「ひとつのゲームを頭から最後までクリアーする」というのは、ゲーム体験に関連する、時間的にもっとも大きな非分割財と言えるでしょう。

友人にとっては「タッチ!カービィ」を遊ぶまたとないチャンスだったわけですから、最後まで遊びたくなったのは頷けます。

わたしも二人プレイで最後まで遊ぶのは未経験でしたので、ついついやりたくなってしまいました。

豆知識:非分割財の分配とNP困難性

実は、非分割財を分け合うことは学問的にも難しい問題で、コンピュータで解いても解き終わらない(もっとも良い分け方がわからない)問題がたくさんあることが分かっています。

ある問題が「難しい」と証明する代表的な方法は「NP困難性」と呼ばれる性質をその問題について示すことで、非分割財の分配についても色々な問題がNP困難であることが分かっています。

この辺りは「最適化」という分野のお話で、わたしの専門に関係しています。(蛇足ですが)

根拠3:特定のことに「一日」費やすことは、他の一日との明確な差別化になる

人は時間を色々な方法で切り分けて考えますが、「一日」というのは数ある基準の中でももっとも影響力の強い部類のものと思います。

人が「48時間」という時間に対して予定を立てる時、4時間が12コとか、6時間が8コあるという捉え方をする人はまずいなくて、

ふつう2日=2分割を最初に行って、その中に予定やタスクや生活要素を詰め込んでいくでしょう。

さらに大きく、1か月=744時間くらいのスケールで予定を決めていくときには、それぞれの1日=24時間に「こんな日」というラべリングを施して、

その人の人生においてどんな意味を持つ日なのか、色を使って塗り分けていくように、明快に分かるようにしておきたいはずです。

秩序のないカオスのような形で予定が埋まることを快いと思う人はいないでしょう。

(もしかすると、他人と生活時間を合わせるという社会的事情を省いて、  まったく個人的に生きることの出来る人間を仮定しても、生理的にそう感じるのではないかと思います。)

そう考えた時、今日と言う日が「ゲームの日」としてわたしのカレンダーに記されていることは意味を持ちます。

  • 今日という日が他の日と明確に差別化され、仕事や学業に対する励ましになる。
  • ゲームというのが生活において少なからぬ意味を持つものだと、自分自身に対して主張できる。

一言でいえば、「メリハリをつける」ということなのですが。

今日来てくれた友人にとっても、そうだったかもしれませんね。

元気に生きるための休日のつかいかた

何だか難しい言い回しで語ってしまいましたが、考察のモチベーションは「ゲームとともに元気に生きる」という事に過ぎません。

長時間ゲームしていると、背中は曲がってくるし、必然的に食事は貧しくなるし、コミュニケーション力が落ちていくのをひしひし感じます。

しかしそれを補って余りあるのは、「自分と仲間のゲーム体験に一つ新しいものがプラスされた」ということ。

ヒトが何でゲームに惹かれるのかは、分からないことだらけですけれど、

コストと便益の関係をよく観察し、自分にとってよい遊び方を模索していきたいところです。

もちろん、他の休日の使い方があることは百も承知ですが、ゲームというのが消去法で残る選択肢ではなく、

数ある候補から選ばれるものになるよう、よくよくその性質を知っておきたいところなんです。

それがわたしのゲーマーとしてのモチベーション(の一つ)です。

おまけ - スマホゲームの固定費用と分割可能性について

根拠1、2のところで、「固定費用」と「非分割財」という言葉についてお話ししました。

実は、この2つの言葉はスマホゲームの普及にも関係があります。

スマホゲームの多くは、以下の性質を満たすかと思います。

  • 起動が早い
  • 誰でも携帯する端末をメディアとするので、いつでも始められる
  • いつでも止められる
  • 参加するプレイヤーを拘束しない

ここから、スマホゲームの二つの性質が説明できます。

固定費用が極めて小さい

携帯端末で遊べるということは、家に帰ってテレビの前に座ったり、携帯ゲーム機を取り出して電源を入れるという費用を取り除きます。

また、起動が早いことも固定費用を軽減します。

友人とスマホゲームで遊ぶという場合も、わざわざ家に呼ばずとも、「どこでも」遊ぶことができ、

また、誰かが欠けるとゲームの進行が止まるということも無いため、「いつでも止められる」ものですから、

メンバーを集めたり、予定を管理したりという固定費用も省け、

結果的に、ランチを食べに行くのと変わらない手軽さで、自然発生的にゲームをメディアとした交流が始められます。

「ほぼ」分割財である

「いつでも始められ」「いつでも止められる」という事は、スマホゲームが分割財に近い性質を獲得していることを説明します。

実際には「超級のクエスト1回を1日以内に」などの単位があるのでしょうが、そのプレイ時間も複数に分けてよく、

かつ分けてもストレスになりにくいような設計がなされているため、分割可能性が高いです。

こういう性質をもった対象は、生活のちょっとした時間に入り込みやすく、受け入れられやすいサービスになります。

(わたしの場合、ファイアーエムブレムを遊んでいる最中に他のことをしなければならなくなるのは大変苦痛ですが、こういう性質を持ったゲームはモバイルゲームにはもっとも不向きかと思います。)

「家庭用」と「モバイル」の対立を語る上で

家庭用ゲームとモバイルゲームの対立はよく語られますが、こういうサービスとしての質の違いを知り、

それぞれのサービスとしての立場と狙い、将来像を明確にした上で語らねば、空疎な議論に終始するものと思います。

わたしは家庭用ゲームが好きな人間なので、モバイルゲーム台頭以降の時代をどう生き抜くか、という観点で見ていますが、

ユーザー分析はあらゆるサービスのマーケティングの基本ですから、どんな視点を持った方にも通じることなのではないでしょうか。