Splatoonのイカ世界における、「ナワバリバトル流行以前」を考察したい
この記事は、「ナワバリバトル前夜談」の振り返り記事です。
未読の方、検索エンジンからいらした方は、この記事を読む前にぜひストーリーをご一読ください。
インクを撃ち合う遊びは、イカにして流行したか
Splatoonに限らず、ゲームの世界では、その世界の主題となる物事については、暗黙のうちに前提にするものです。
「マリオ」という超人的身体能力の配管工がいて、お姫様と知り合っていることとか、
「カービィ」という丸くてピンクの若者がいて、恐るべき肺活量で吸い込んだ敵の能力をなぜかコピーできることとか。
その暗黙の前提の上にすべての仕組みやストーリーが成り立っていても、「ゲームだからOK」であり、
それが失われるとゲームの面白さごと消えてなくなってしまうような場合、不思議とそこには誰も異議を唱えません。
一種の「ご都合主義」にプレイヤーたちは深く入り込んでいて、そこはある種の聖域になっています。
でも、Splatoonというゲームは面白くて、そこに登場する主体(イカたち)は、
イカしたギアを身に付け、イカした音楽を聴いて、自分たちがイカしてると思うから「ナワバリバトル」に興じる。
そこでは、キャラクターの「自意識」がすべての引き金になっていて、その上にナワバリバトルという遊びが成立しています。
すべてではないにせよ、世界観の中の多くのことが説明され、しかもそれが開発者インタビューなどで一般に広く認知されているということが、
Splatoonというゲームのすごいところではないかと思います。
わたしは、ファンの一人として、その世界にナワバリバトルが広まったきっかけを、
ハイカラシティの都会的な空気感、インクリングたちのちょっと背伸びした若々しさと合わせて、書いてみたくなってしまいました。
負けず嫌いの少女と、都会に挑む少年
この話には二人のインクリングが登場します。
モンガラの田舎からやってきた負けず嫌いのガールと、ハイカラシティに住んで2年、まだダンボールハウス住まいのボーイ。
二人については、ナワバリバトルが持っている、
- 若者の、未熟とも言える対抗心のぶつかり合い
- 勝つことはステータス
- 都会のイカした遊びである
という要素をちょっとずつ取り入れて設定を決めています。
「ナワバリバトル」のないハイカラシティのなかで
大ナワバリバトルの終結後、ナワバリバトルという文化は一度消えてなくなり、
ブキチのような例外を除けば、誰もそのことを忘れてしまった時代のハイカラシティが舞台です。
わたしが勝手に作ってしまった設定として、「イカたちは殴る蹴るの喧嘩は出来ない」というものがありますが、
「イカたちには骨がない」というのは公式設定ですから、そこからさほど無理なく引き出せる設定です。
そんなインクリングたちにとっては、「自らのインクをぶつける」というのはそもそも画期的な攻撃方法なのではないか?
そんなことを考え、「宿敵と喧嘩をしたがっているガール」が、「悪知恵の働くボーイ」に相談を持ちかける、
という出来事を、ナワバリバトルが再び流行する発端として書き上げてみました。
原作との食べ合わせが重要
わたしがこのブログを開設した当初、「絵・文・音楽」のコンテンツとコラボしたいいう旨を書きましたが、
「文」についてはこうやって、時々書き溜めたものを公開していきたいと思っています。
ポリシーというほどのものではありませんが、わたしのこのコンテンツは「原作をより美味しく食べるためのもの」にしたいと思っています。
- 原作を遊んでから読むと、新鮮な驚きが得られる
- 読んでから原作を遊ぶと、他の人とは一味違った体験が出来る
必然、ネタバレは避けることにしますので、「ネタバレ注意」などの但し書きは添えません。
また勿論、二次創作ですので、権利はゲームソフトの権利元に帰属し、権利元からの要請があれば当該小説記事の一切を削除します。